日記 再開

いつだかに承認欲求について書いたが、最近また良くない波がきている。創作活動をしたくなっているのだ。それ自体はとっても良いことなのだけれど、どうやら私が飛び込もうとしているところはまた承認の渦に巻き込まれそうな領域らしい。私の脆弱な精神性ではおそらく太刀打ちができない。
とはいえ結構長寿なジャンルであり、住人の年齢層が以前いたところより確実に上なので、ちゃんと分相応に承認が得られない状態になりそうである。私には技術力がないのでこの悩み事は大概自惚れなんだけど、実体験がある分安心ができない。

差し当たって、私ってどんなのを書く人だったんだっけ、と前ジャンル(承認欲求でメシャメシャになったところ)の自分の創作物を見てみた。意外とクオリティに納得感があるし、思ったより元気に活動していた。ここでちょっとポジティブになる。やれてんじゃん、自分。
そうだ、これを書いてた時に貰ったマシュマロでも見てみよう、と丁寧に保存してあるマシュマロを見返す。たくさんの感想が並んでいる。具体的なシーンを取り出して褒めてくれている。続きを求める言葉が連なっている。大好きです最高です天才です続きお願いしあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

スマホをぶん投げる。
何なんでしょうね、この心の動き。もう自分がわからない。とにかく画面が見続けられなくなって、お腹の中心がぎゅうーっと握りつぶされる感じがした。慌ててTwitterを開いて薄い情報で脳を満たす。

わかってるのだ、たぶんもう「こう」はならない。レスポンスのない穏やかで健康的な創作活動になるのだろう。難しいのは、そういうのがやりたくて創作活動をやっているわけではないということだ。創作物に対する反応なんて、貰えるもんならいくらでも貰いたい。所詮は欲求なのだ。欲しいから困る。でも受け取ってしまうとバランスが崩れる。貰えないと寂しい。貰うのが怖い。
めちゃくちゃだ。未だにちょうどいい着地点がわからない。
それでもやるんだよな。創作活動というものがこれだけ神聖視されている環境に身を置いて、創作しないままでいればやがて息ができなくなるから。創作をしたら息が苦しくなる。でも、どれだけ苦しくても、息ができる方を選ぶのは当然だ。
あーーーー〜〜〜〜そしたらね、開きましょうね、PCをね............。


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