日記 服、映画、バンジー

土曜にショッピングモールからの庭園をハシゴし、日曜にバンジージャンプをするという週末を過ごした。おばあちゃんと若者を行ったり来たりしている。最終的にはバンジーから帰ってきて、喫茶店でこれを打っている。ものすごく充実していると同時に、なんだか取り止めがないなあと思う。人間の行動に取り止めがあるのも不自然か。

土曜はなんとなく車でちょっと遠出がしたくてアウトレットモールに行った。大きめのところだったので各種ブランドの服や鞄、靴、雑貨の店が所狭しと並んでいたのだが、しばらくぶらぶら歩いた末に、そういえば私は服や靴や鞄にさっぱり興味がないのだった、ということを思い出し、急速にそこにいる意味がなくなってしまった。

日記からは逸れるが、服や靴や鞄に興味を持たなければならない、という義務感めいたものが自分の中にずっとある。自分の身なりを整える行為の一環として、服やら鞄やらの流行り廃りに目を向け、人に見られて恥ずかしくないように努力をしなければ、と。だが、興味を持たなきゃと思えば思うほどウンザリしてしまい、結果的にショッピングモールの服屋が並んでいるところを歩いているだけで疲弊するようになってしまった。どうやったら自分で納得感を持って服を選ぶことができるのだろう。今持っている服も正直なんだかよくわかっていなくて、人から「いい感じ」「似合ってる」と聞いて初めて、ああこの格好は常識的で整った格好なのだな、と思う。それまではなんだか色のついた布を纏っているなあという感覚でしかない。
服に対し、「似合っているかどうか」「素敵かどうか」を多くの人がほとんど直感でわかる、ということが恐ろしい。難しい数学の問題が理解できなくても怖くないのは、なぜ理解できないかわかっているからだ。前提として持っておくべき公式や解法の知識がないから、理解ができない。つまり、前提知識さえあれば解けるだろうな、ということが想像できるということだ。理解できることが予想できれば怖くはない。これが服になると、なぜ知識が大体同じはずの多くの他者が理解できるのに、自分が全く理解できないのかが本当にわからない。自分だけに何か特殊な情報統制が仕掛けられていて、服に関する重大なことを知らないままなのではないか、と思ってしまうくらい、他者との差を感じる。服屋で楽しそうに買い物している人たちが怖い。服の雑誌を読んで楽しんでいる人たちが怖い。思い思いのオシャレな格好をして集まっている人たちが怖い。自分の脳の機能が足りていないのではないかと、半ば本気で思っている。

よくそんな性質を自覚したままアウトレットモールに行ったな、と打ちながら思いました。
閑話休題。
アウトレットにいてもしゃーない、でもせっかく遠出したし、この周辺で何か行けそうなところないかな……と思った私が見つけられたのは、案の定大きい公園や庭園ばかりだった。買い物は不可、時間的な事情で食事も不可となると、もうそれくらいしかない。とにかく行ってみよう、と車を飛ばして◯ ◯の里やら◯ ◯公園やら名のつく所にいくつか行き、のんびり散策した。どれもなんだか良いなあ、という感じだったが、中でも紅葉が有名なとある公園が素敵だった。夏の、しかも雨の日でも十分美しいのだから、秋に紅葉が赤く色づいた状態はどれだけ素晴らしいんだろうと、ワクワクするような公園だった。人混み覚悟で秋に行ってみるのもいいかもしれない。ちなみにその日は私以外誰もおらず(土砂降りでシーズン外れだから当たり前だ)、「明らかにこっちに進めって書いてあるっぽいのに倒木で道が塞がっていて、でもちょっと無理すれば奥に進めそうな山道」や、「何の警告も規制もされてないけど真っ暗でめちゃくちゃ奥が深そうな背の低いトンネル」などを見つけては「ホラゲならここに入ってっちゃって後日死体で見つかって″誘われたんだ……″になるやつじゃん!」と思いながら入るのをやめるなどして楽しんだ。トンネルくらいは入っておくべきだったな……せっかく土砂降りで舞台が整ってたんだし。

土曜はこれだけではない。この後なんとなく家には帰らず映画館に寄ってみると、なんとスラムダンクのロングランがいよいよ終わってしまうという。結局2回しか見れていなかったし、どうやら先日行ったイベント映像を編集したものが上映後に付くらしいということで、ちょうど30分後の回を観る事にした。
3回目だが、2回目からは結構日が経っていたのもあり、まあ号泣した。良すぎる。スポーツ観戦を全くしないから想像しかできないが、テレビとかで生中継されているスポーツの試合を観て息を呑む、というのはこういうことか、とアニメ映画で感じられるのは本当にすごいことだ。わかっているはずなのに、ボールがゴールへ飛んでいくたびに「入れ……っ!入れ……!!」と祈って拳を握りしめてしまうし、息をするのを忘れてしまう。今まで素晴らしい映画はたくさん見てきたけれど、上映後に明らかに息が切れている映画というのはこの作品が初めてだった。1回目も2回目も今回も全く同じ熱量で試合を応援してしまったし、ちゃんと握りしめていたスカートの腿のところがくちゃくちゃになっていた。なぜこの映画をまだ見ていないんだ、見ていないのはおかしいだろ!というショート動画がちょっと前に話題になっていたが、そらそうなる。私は「これを見てないのは損だ」という物の勧め方は好きではないんだけど、ちょっとこの作品に関しては観るのがあまりにも得すぎて、どうしてもこの作品を観た私は観てないあなたよりめちゃくちゃ得をしていますよ、という気持ちになってしまう。
ちょっと映画スラムダンクのことを話したくなっちゃったから話そう。映像も声も何もかもいいんだけど、多くの人が言っているようにこの映画は「音」がすごい。SE、挿入歌、そして静寂の使い方。完全に観客の感情を音でコントロールしている。そうして容易に世界に取り込んで、こちらの心臓を弾ませてくる。初めて観た時、特に無音のシーンにすごく驚いた。あの尺を、あのシーンを、無音で描くということが絶大な効果を発揮するとともに、無音にするという行為に対する制作側の勇気、こだわりに圧倒される。プロメアを観た時に「無音の凄さ」は実感したはずなのだが、また別の素晴らしさをスラムダンクが教えてくれた。いや本当に凄すぎる。そんで流石に上映も終盤の、さらにレイトショーということで、無音のシーンで音を立てる観客がマジでゼロだったのも凄い。そこまでのシーンで散々泣かされるので生理的な雑音を立ててしまうくらいは仕方ないと思うが、今回は静寂が本当に静寂だった。素晴らしすぎる。私はズビズビだったので、そこではほとんど息を止めていた。そのせいで最後に息が切れているというのもあると思う。

さて、そんな目一杯の土曜を過ごし、家に帰り、ベッドに寝転んだ瞬間に「バンジーがしたいぜ」となったので早速検索した。1時間以内の距離に予約なしでやれるバンジーがあるというので「そんな都合いいことある?」と思いながら日曜の予定が決まったのである。

やりました、バンジー。バンジージャンプ施設の中ではかなり低いもので初心者におすすめのやつだったが、実際バンジーが初めてというのもあり、とっても楽しかった。ジェットコースターと同じで落下開始の瞬間が1番気持ちが良い。そこからドゥインドゥインとゴムが伸び縮みする中で、綺麗な景色を見るのも良かった。ただ、さすが初心者向けなだけあり、本当に怖くないのはちょっと物足りなかった。ジェットコースターでスリルを感じられないから、スリルを求めてバンジーに来たのだ。今度はもっと高いバンジーをしに行きたい。ただ今回行ったところは本当に安価でバンジーができるところだったため、価格相応の楽しさがあったから満足している。行きたいなあ、岐阜のやつ。3万なんだよなあ……3万かあ……。

そこの施設には空中ブランコ的なアトラクションもあり、こっちもすごく良かった。キュルキュルキュルと振り子の片側の頂点に吊り上げられ、自分で留め具を外してぐわんぐわんとでっかいブランコを楽しむ、みたいな感じのやつ。自分で発射するという仕様も面白いし、景色もいいし、爽快だし、何よりスタートの瞬間に地上にいる全然知らない人たちが一斉に「おおっ!」「キャー!」となるのがめちゃくちゃ良かった。その瞬間、私は知らない大勢の人たちの意識の中心にいたのだ。それがなんだか楽しくて、しかも私が来るまで誰もそのアトラクションに入っていなかったのに、終わって地上に戻ってみたら結構な数の人が並んでおり、「私のを見て来たんだ!」となりさらに嬉しかった。
そこの施設は基本的に家族連れ向けで、バンジーと空中ブランコ以外はアスレチックやプールやBBQなど、ちびっ子が親と楽しむものばかりだったので、その二つを終えた私は早々に退園した。ちょっとコスパは悪い気もしたが、安価でバンジー+αができたと思えば十分だ。

で、今に至る。長居していい喫茶店でiPadをBluetoothキーボードに繋ぎ、カタカタこれを打っている。スタバMacBookを凌ぐ意識の高さだ。これもこれで気持ちいいものですね。これを打ち終わったらApple Pencilを取り出し、iPadで色々描こうとしている。どこまで行くんだ。どこまでも行っちゃおうかな。

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