「これ思うのって私だけ?」


INTERNET YAMEROを10回リピートしたので、自分にとってのインターネットの嫌~~~なところを書きたくなった。書きます。

「〇〇って私だけ?」に対する拒否感

一定の人数の、とりわけインターネットを長くやっている人の多くが大なり小なり持っている感覚だと思う。が、特に「〇〇なのって俺だけか?」をインターネットで見かけたり日常で聞いたりすると、本当にやめてくれの気持ちになってしまう。
これは、たぶん私が小さいころから「〇〇なのって私だけ?」をことごとく潰されてきたからだ。
家族に、ちょっとしたこと(当時の私にとっては結構大きなこと)を自慢すると、「ふーん。で?」とよく言われた。冷たいとか意地が悪いとかではなく、普通に続きを聞こうとしての相槌だと思う。心根の優しい人達なのでそこに疑いは持っていないのだが、その返しをされた小学生の私は(あっ今の話は続きの話が主題になるような、なんでもないことだったんだ……)ということに気が付き、自分の世間知らず具合を知っていった。
これが何回か繰り返され、私は「"自分だけが気づいている"、"自分だけが凄い"なんてことはありえない」と学習してしまったのだ。となると、私がそうなのだから、周りの人もそうなのだと思うのは自然なことで。だって「"自分だけ"なんてことはありえない」が自分だけに当て嵌まるわけないのだから。

そして、最初の話に戻ってくる。インターネットで「〇〇なのって僕だけかい?」を見かけると、その言葉を自然と発することができるくらいには自分を特別視しているさまが思い浮かび、そこに自分が投影され、即座に「そんなわけないだろ」と自分自身に否定されるというプロセスを瞬間で辿るため、スーパー拒否感として感情が出力されるのだ。
人はどうせ主観でしか物事を考えられず、他人の思考を読み取るためには自分を重ねるか、あるいは「□□であれば▲▲と思うもの」とマニュアル化するしかない。私は主に前者のタイプなので、上に書いたようなプロセスを避けることができない。今日もTwitterでおすすめトレンドをポチポチ押していたら「××、■■って思うんだけど僕だけ?」を見かけてしまった。ウオ~~~~~ウワ~~~~グウウ……それでもおすすめトレンドを上から見ていくのやめらんねえ……。


「ニコ動の嫌なコメント」みたいなタグ

だい~~~ぶ前だが、ニコ動で見かけたら嫌なコメントを書いていく、といったタグが流行っていた(探せば今もあると思う)。面白そう、と思ってタグのついたツイートを見てみたら、そこに挙げられていたのはニコニコ動画のコメントのすべてだった。
例えば、「←わかる」等のコメントに対するリアクションのコメント、及びそこから発生するコメント同士の会話。自治厨、アンチとのバトルをしようとする人たち。淫夢厨をはじめとした、そのあたりの人たち。
これくらいであれば、性格の悪いあるあるとして笑ってみられたのだが、さらにタグを見ていくと「赤字の固定コメ」「動画をやたら称賛するコメント」「草に草生やすな、等の常套句」「つまらんコメント」「888888」とどんどん出てきて、もしそれらをニコ動から消し去ったとしたら、おそらく一つのコメントも残らないだろう。
後半のコメントについて文句を言っている人たちは少人数なのだろうし、ニコ動を視聴するのに向いていない人たちの意見なので特に気に留める要素はないのだが、ニコニコ動画で流れているコメントの、例外なくすべてについて誰かしらが嫌だと思っているのだなあ、と思ったら、「うわ………………………………………………………………」になってしまった。

ちなみにこんなことを書きつつも最近ニコ動はほとんど見なくなっているし、見たとしてもコメントはオフにしている。趣旨とズレるが、ニコ動に限らず、自分が見たくないものを視界から排除する機能が本当に充実してきている。これが良いことなのかどうかの判別はまだついていない。



眠くなってきたのでひとまずここでインターネット嫌事情は打ち止める。まだ無限にあるが、嫌なことばっか書いていてもしゃーないので、とりあえず一気買いしたスラムダンクを読み進めようと思う。


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