日記 ビルド

ティアキンに支配された生活を送っている。

ゲーム自体、どうぶつの森とレイトン教授を行ったり来たりする程度にしかやってこなかった幼少期。ある程度お金を自由に使えるようになったあたりで、ブレワイを購入した。それまでのゼルダも、その他RPGも全然やってこなかった私が、ブレワイの「すごさ」を隅から隅まで感じられたとは思えない。が、生活リズムがすっかり変わるくらいには熱中したし、その後様々なゲームに手を出すきっかけにもなった。
そして今。待ちに待ったティアキンを、寸暇を惜しんでプレイしている。まだマップが全て埋まっていないのがこの上なく嬉しい。この高度の嬉しさが3年くらい続いてほしい。やりようによっては本当に3年保たせられそうな気もする。今日は地底のマップ埋めをやっていこうかな。

ところで少し前、新作が待ちきれなかったのでスカウォHDをプレイした。今、ティアキンをやっていると(そりゃそう、という話だが)「ブレワイには出てこなかった、スカウォを彷彿とさせる描写やアイテム」にちょくちょく出会う。その度に、スカウォをプレイした時の記憶が瞬時に掘り起こされ、ゲーム内で初めて出会うはずなのに見慣れたものを見つけた時の安心感を感じ、その一連の脳の動きに喜びを感じる。こういう種類の感動を、昔からゲームをやって来た人たちは高頻度で感じているのか、と思うと、ゆるやかな悔しさを感じる。
ゲームでも、映画でも、漫画でも、小説でも、「わざわざ説明されることはないが、知っていれば容易に気づく仕掛け」を見つけられた時、「知っていて良かった」と思いながらも「これまで膨大な数の『それ』に気づかずスルーしてきたんだよな......」と思い、ヘナ......となってしまうことはよくある。かといって、それがインプットへの意欲にダイレクトに繋がることは滅多にない。これからも「見ときゃよかったなあ」とぼんやり思いながら生きていくのだろう。


ちょうどいいところ

最近、お仕事での自分の立ち位置がちょうどいい。能力が高すぎないからハイレベルな仕事が舞い込んで忙しくなったりしないし、低すぎもしないので圧もかけられない。平行で別作業を進めるには厳しめのスケジュールが引かれているから人手が欲しい時の候補にも上がらない。一番得をする位置にいる。能力があるわけではないので狙ってそのポジションを確保したわけではないが、このまま自分の評価が上がりも下りもしないでくれ、と切に思う。年数とかいう概念がついて回るので無理な話だけれども。

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