日記 と ひと

人間関係という言葉は、相当多くの人間に嫌われている。だいたい、それに辟易したときはじめて人間関係というものに言及し始めるわけなので、当たり前だ。

私は交友関係が本当に狭い。その理由のすべては、何か行動を起こすときに「誰かと行きたい」「誰かとやりたい」と思わないせいだと、最近思う。どこそこに行きたい、そこに行くんだったら誰かと行きたい、そこに一緒に行けるような関係の友人が欲しい、という流れがあって、友人がたくさんほしいと思うのだ。そういうのがないために、本当に狭くてちょっと深い交友がずっと続いている。
なんだか取り繕いたくて「そもそも友達とか要らんし……」みたいなことをいろいろ言ってみたが、やっぱり結局のところ私が面倒くさがりというだけの話だった。ほんのり友人ぽい感じになったとしても、その関係を維持するのを極限まで面倒くさがるせいでちゃんとした交流に繋がらない。とはいえ極少の友人を失うのはマジでヤバいぞ、とは思っているので、既存の友人たちに対しては無意識のうちに必死になってしまう。とにかく趣味を合わせないと、と思ってしまう。そんな必要はないとわかっているのに。ここに、人から勧められたものを素直に好きになれない性質がかけ合わさって最悪なことになる……というのを繰り返しているうちに全部が面倒くさくなり、やがてほっぽりだす、を、通算3回ほどやっている。見事、友達少ない人間の完成だ。

△一旦ストップ!!△

当初は友達を増やせない自分の人間関係について書いていこうと思っていたのだが、ちょっと本当に嫌になってきたので、路線変更して「なぜ人から勧められたものってこんなに好きになれないのか」を考えることにする。

△再開△

どうして人からお勧めされたものをどうにも好きになれないか。まあ表面的な理由についてはとうに見当がついている。ただただ「私が自主的に発見できなかったから」だ。これでものの見事にそれにハマってしまったら、その人の功績として私の趣味が語られることになる。たぶん、それが我慢ならないのではないかと思う。そうすると、次はなぜそれが我慢ならないのか、という話になる。いいではないか、その人の功績が増えて、私も好きなものが増えたのだから、それで。と自分を納得させようとしても、頑として首を縦に振らない私がいるのだ。
ていうか「自主的に発見した趣味」だって、インターネットの誰かが進めてるのを見てハマっているはずだ。それは良くて、友人や家族からのおすすめがダメなのはなんなのか、と考えてみると、行き着くのは「マウントを取られたくない」という卑屈極まりない理由だった。

△まって!!△

ちょっと今回、自分の思考によって自分の最悪さが浮き彫りにされすぎて本当にきついな。これ以上深堀りしていくとちゃんとした自傷行為になってしまうので、もうちょっと気分が楽な時に考察しようと思う。今は明日の楽しい予定のことだけ考えて寝よう。こういう精神性の時は睡眠と食事が足りてないのだ。そういえば今日は、朝ごはんを食べて以降何も食べていない。今日は遅すぎるし、明日は朝からおうどんとか食べちゃおっかな。


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