日記 元気なおばあちゃん

金沢へ旅行に行った。
突然行くことを決めた旅行だったので、金沢の主要な観光地をのんびり回るだけだったが、とにかく時間に余裕があったのでたいへんぜいたくな旅行になった。

旅行に行くとき、私は大抵スケジュールを少し無茶にしてしまう。新幹線の前だけは時間をたっぷりとるが、それ以外はもったいなくて予定をぎちぎちに詰める。その結果、まあよっぽど上手くいくんだけど、移動中とかは移動することだけを考えてたな、と今回の旅行を通して思った。
次の予定が直後にあると、目的地に着くまでがこれくらいで、着いたらここに行って・・・・・・と組み立てておかないと落ち着かず、そればかり意識することになる。対して時間に余裕があると、次に来る電車でも、その次に来る電車でも全然オッケーなため、場所から場所への移動で考えることが減る。そうなると移動自体を楽しむことができるようになる。バスや電車からの景色、待ち時間でのちょっとした散策、どこかに腰かけて本を読むことだってできる。それって、私が思い描いていた「理想の旅行」の姿だ。ダイエット中のためカフェに入ることは避けたが、ここに「敢えて次に乗る電車を1時間ほど後にして、カフェでゆっくりお茶しながら本を読む」を要素として加えたら完璧な旅行になってしまう。そんなの、そんなのやっちゃったらさ、もう普通の生活に戻れませんよ・・・・・・。いつかやりたいな・・・・・・。

今回やったみたいなぜいたくのんびり旅が、私が望む旅行の姿だということに、実際にやるまで気が付かなかった。とにかくたくさんの(そこでしかできない)目標を達成することだけを重視した旅行ばかりしていた。旅行に行く際に目的が先行してあることがほとんどだから当たり前っちゃ当たり前なのだけど、そういう意識で旅行に行くと、目的以外のことをやるときにちょっと及び腰になってしまって、結局「時間の都合が・・・・・・」とか言ってやめてしまう。それもそれで良い、が、そうなると「遠征」という表現がしっくりくる。私がしたかったのは「旅行」だったのだ。

ただ、「旅行することそれ自体を目的として行くのんびり旅行」にも問題はある。私にセンスや知識や気力が無いため、行く場所がどうにも地味で、元気な老人みたいなルートになってしまうのだ。
いや、それだって悪くはない。私は行きたくて兼六園やほかの庭園に行ったわけだし、実際十分に楽しんでいるから良い。でもこれは兼六園という、言わずと知れた名園だったからだ。老若男女が楽しめる場所だったから、行って良かったと思うことができた。これが、どこか・・・・・・どこかなんか別の場所だったらどうか。もうここで具体名が出ない時点でお察しという感じだが、きっとぼんやりと近くにある庭園を調べて行き、まあまあ人が入ってそうな喫茶店に寄り、一応名産品を食べて、また公園みたいなところに行って帰る、みたいな旅行になってしまうに決まっている。健康なおばあちゃんがおばあちゃん友達と行く旅行でしかない。しかも一人で行くわけなので、途中の喫茶店や料理店で雑談もせず、数十分そこそこで出ることになる。
それって・・・・・・それってどうなんですか!?それでもいいじゃんと言われればそれまでなのだが、いくら前述した「完璧な旅行」の要素を満たしたからって、そればかりではいずれ、「今」旅行に行く意味がなくなっていく気がする。今、この歳で、一人で旅に行くのだから、もっと素敵なお店に入ってみたり、ネットで有名な場所に行ってみたり、その地で交流を深めてみたり、そういうことをするべきなのではないか?いや~~~でも、それをやろうと思って行ったら「目的ありきの旅行」になってしまわないか?いやいや、ある程度は目的がないと旅行の形を成さないのでは・・・・・・。

と、いろいろ考えてはみたものの、この思案が今後の旅行を変えていくことはないと思う。旅行は思い立った時に行くもので、思い立つきっかけがその時々で違いすぎるからだ。旅行の理想のフォーマットなんて作ることはできないし、作る意味もない。
重要なのは今回の旅行がとっても楽しくて、ゆったりしていて、絵日記まで書けちゃったことだ。美味しいものを食べつつも食べすぎはせず、いっぱい歩いて綺麗な景色をたくさん見られたことだ。お土産も良いものを買えたし、天候にも恵まれて良い旅行だった。
次はどこにしようかな。金沢からじわじわ全国制覇していこうかな・・・・・・富山とか?あっ仙台も行きたいんだった。仙台にしようかな。暑さがマシになったあたりで行こ~!


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