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燃滓

生きている限り、ずっと、死ぬ事を考える。

八月の頭ぐらい、「public melodies」のリリースツアーやらが終わって脳味噌が沸騰するぐらい、何度か心臓ぶっ壊れて死ぬんじゃないかみたいなストレスに襲われたりした期間が終了して、一人家で音楽聞いたりしてた。レックからリリースツアーまで全部叩いてもらったドラムサポートのテツにも色々と渡せるものは渡して一旦アルバムのことを区切った、つもりになっていた。

その日は確か珍しく何も用事もない1日だったと思う。大概はスタジオやらバイトやら溜まった疲労をこそぎ落とすような睡眠やらで忙しかったりするもんだが、その日は久々に時間の進み方がゆっくりで昼間っからビールでも呑んでた。で、次のアルバムなんとなくこうしたいな、と思ってた部分もあったので曲を作るかとなった。ただ、何となく思ったより評価されてしまった1枚目のアルバムから端的に言うと俺は少し焦っていたんだと思う。そんな状況で何かしなきゃなと思ってギターを手に取って曲を作ろうと思った。

そしたら、ビックリするぐらい書きたいことがなくなっていた。

全くインスピレーションが訪れて書けないとかそう言う次元の話ではなく、曲を作る、と言うことそのものに全く意味を感じなくなってしまっていた。ここまで何も出来なくなったのは多分初めてだったように思う、し、それに何も恐怖も焦りも怒りも感じなかったのも初めてだったと思う。

多分思ったより燃え尽きてしまったのだ。

それぐらいのアルバムだったのかもしれないと、やっとその時に実感した。

たかが、8から9個の音の集いを作り出しただけで四半世紀生きた筈の私の「中身」は空っぽになってしまっていた。燃え滓、とかそんなものでもないのかもしれない。カスもなかった。まるで自分がここに居るのに何処にも見当たらないような、それを見つける気もない、そんな感じ。

それは1曲だけ新曲を書き上げた今も同じように続いていて、次のアルバムの構想が自分ではなくペヤングだけの歌唱によるもの(その書き上げた新曲も作曲は俺だが、歌メロと歌うのはペヤングだ)と決めて余計に加速したように思う。ああ、俺はもうあんな辛いことをしなくてもいいのかもしれないと、何処かで多分いまだにそう思っている。

9月の初め、8月の丁度終わりの頃、酷く体調を崩した。今だから言うが、8月末から9月頭までのイベントは全てキャンセルするしかないのかもしれないぐらい体調が悪かった。それぐらいなんというか、空っぽになってしまっていたように思う。思うって言ってもたかだか2週間ぐらい前の話なんだが。笑

何とかそのズタボロズタボロの身体を引きずって這いずり周りながらライブをして、カンフル剤のように「演奏した。俺は何かをした。何者かになっている、今は」という気持ちを心に注射をした。あのようなライブはもうしたくないと今は少し思う。

ぬぼーっ、とそこからは何もせずダラダラと過ごすわけにもいかず、バイト、ライブ、スタジオの応酬が続く。そんな心身が割りかし悲鳴をあげていたのが昨日。今もさして状況は変わらないが、あるドキュメンタリー映画を観て少しだけ助けられた。

それは「ELLEGARDEN:Lost&Found」というELLEGARDENの再結成までを描いたドキュメンタリー映画だ。俺は今まで数曲ぐらいしかエルレを聴いた事はないし、何となくかっこいいなーぐらいにしか思っておらず、とゆーか、好きな人には申し訳ないがメロコア特有のマッチョイズムみたいなモノが何処となくずっと苦手で聞いていなかった。気分悪くした人がいたらごめん。何でそんなバンドのドキュメンタリー映画を見ようと思ったのかわからないが兎角、それを観て少しだけ元気が出た。細美さんの事はよく知らないのだが、元気をもらえた。あと勇気も。

音楽を作るという事。生きていくという事。そして、友達と過ごすという事。知らず知らずのうちに俺はその全てにこんなもんだろう、これぐらいでいいだろうという線引きをしてしまっていたように、その映画を観て感じた。

妥協は多分これからもきっとするだろう。諦めも絶えず付き纏うだろう。怒り、悲しみ、喜び、疲れるだろう。でもそれを行えるだけでなんて美しいんだろうと思う。十分凄い。まずはそれを頑張ってみたりしたいな、とふと思った。

何かに疲れてしまっている人がいるならちょっと見てみても良いかもしれない。

わからないけどね。多分今も死ぬことを考えているし。

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