子供の頃の習い事

今は幼稚園入る前から学習塾通う事もあるのだろうが、俺が子供の頃は学習塾なんてほとんど存在もしてなくて、小学校高学年とかから行ってる人が点在する感じだった。
ま、地方で高レベルの私立中学校とか無かったからね。私立女子中学はあったが、公立中学に進む女子がほとんどだった。
国立の中学校があったが、ここは合格点高すぎて、記憶の限りではうちの小学校からは1人しか合格しなかった。何故覚えてるかと言うと、彼は幼稚園に毎日一緒に通って遊んでいた幼馴染だから。小学校中学年になってからは、クラスも違ってしまったから、遊ぶ友達も違って疎遠になってたけどね。

俺の最初の習い事は、幼稚園の時に通っていた美術教室だ。美術と言っても絵画で、お絵描きレベルかな。
先生は高名な画家だったらしい。
地元の新聞社主催の絵画展に生徒たちは、応募したのは覚えている。俺は何故か入賞した。だが、俺は自分でも絵は上手く無いと思っていたから、どこが評価されたのか、子供心にもわからなかったw

小学校に入ると、俺は珠算教室に入った。家から自転車で5分程度の距離に新しく珠算塾が出来たので、そこに通うことにしたのだ。
珠算は3級まで進んだが、そこで辞めた気がする。

小2の時から書道教室に通っていた。
毎週土曜日の午後である。当時は土曜日は学校もあり、半ドンの昼までだった。
塾は小学校からは徒歩20分くらいの距離だった。小学校から塾に行く経路に母方の実家があり、祖父母と母の兄夫婦に俺の従兄弟が住んでいた。だから俺はそこで祖母から昼ごはんを食べさせてもらってから、書道教室に通っていた。従兄弟の部屋から本を借りるのも楽しみだった。ゆえに俺は思想形成時に従兄弟の読書傾向や思想の影響も受けた。
従兄弟は戦記物も読んでいたから、俺もそれを読んで中学や高校大学時代には、帝国陸海軍関係だけでなく、ドイツ第三帝国関係の本も買って読んでいた。ヘルマン・ゲーリングの上下2冊の早川書房から出ていた本やヨーゼフ・ゲッペルスの評伝とかも読んでいた。マルティン・ボルマンが戦後どこに逃亡したかと言う本は興味深かった。ただ、個人的にハインリヒ・ヒムラーは好きではなかった。色々と詳しくなってたなぁw

書道は小学校卒業までやっていたが、俺は3段まで進んでいた。
中学に入ると草書が始まり、段位も下がるのだが、俺はその前に止めたから、履歴書には書道3段と書いているw事実だし。
地元の新聞社の展覧会や全国の展覧会で、何度も特選とか賞を取って表彰状ももらっていた。
そんなに上手い字では無いと自覚あったが、ハネやトメや字の力強さとか、専門家的に評価する点の多い字だったのだろうな。
今思えば、草書までちゃんとやっておけば良かったなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?