冷やし中華

コンビニの全国拡大により、今では季節を問わず冷やし中華は食べられる。
だが、ほんの半世紀前には、冷やし中華は夏だけの物だった。
そりや、日本は広いから、全国のどこかでは、一年中提供していた店もあったかもしれない。
だが、普通の町中華では、冷やし中華は夏限定メニューだった。
だからの「冷やし中華始めました」なのだ。年中やってたら、こんな事言う必要は無いから。

俺がこの問題wを知ったのは、筒井康隆からだった。
俺は当時中学校で、筒井康隆を読んでいた。そこで全中連の存在を知った。彼のエッセイに何度も登場していたから。
ただ、俺は冷やし中華に拘りはないし、別に無くても構わない人だったから、ただ読み流していた。

時は流れ、2000年になり、俺は蘭州拉麺と言う店のオープンから行っていた。
オープン前にプレオープン的に、店の入り口で持ち帰りの惣菜や肉饅を売っていた。
すぐ近くにある中華料理店の支店だった。
肉まんは、コンビニ的な物ではなく、中華街で500円とかする大きさの美味しい物だった。
それがオープン前のセールで、180円で食べられたのだ。
俺はその近所の店で飲んでいたので、飲んでから肉まん買ったりしてた。
また本格的な中華惣菜を500円くらいで持ち帰りで売っていたので、それを何種類か買って、飲み屋に持ち込んでたりした。
そして、そこがオープン。
蘭州拉麺とは、粉を練って、両手で伸ばしながら振って、麺を作る手法。拉麺の元祖だと教えられた。
今ならスマホで作るところを動画に撮ったのに。
拉麺は注文受けてから、その都度麺を作り調理していた。
その店では、料理長が作って、弟子が盛り付けとかをしていた。
餃子は焼き餃子に水餃子だった。俺は中国では水餃子を食べると聞いていたから、水餃子を好んだ。
客に料理を作ってない時は、餃子を包んでいた。
料理長は上海の人で、日本語は話せていた。
俺は大学で習った中国語を思い出しながら、中国語でも話しかけたりしていた。
弟子の女の子は、日本語は拙かった。俺はその子にも話していた。
林さんと言ったから、小林と話しかけたら、客の中国人のおばさんに、その言い方はダメたと言われた。小なんたらと呼ぶのは、日本語だと〜ちゃんみたいな感じで、親しい人間にしか使わないそうだ。
俺は歳下なら小、歳上なら大と教えられていたから、ひとつ賢くなったと思ったね。大学の中国語の教授は、日本人だったから。蘭州拉麺としてオープンしてからは、店の入り口では中華弁当も売っていた。やはり500円くらいで。
近くに住んでる若い中国人たちが、よくそれを買っていた。
持ち帰りではなく、それを店内で食べていた。料理長は、中華スープ。出してあげていて、500円の中華弁当でスープを飲めていた。
やはり同朋だからだろうね。
この店では、夏には冷たい中華を出していた。
山形県の冷やしラーメンが、近いかな?
冷たいスープの拉麺で、丼で提供されていた。

この店は、俺が怪我で入院してる間に無くなった。料理長が上海に帰国して、違う店名で刀削麺の店になった。
新しい中国人の店長と話したら、前の料理長とは面識は無いが、上海に帰ったと聞いている、こう言われた。この店は今も前とは違う店名で、営業してる。
本店のそばの中華料理店もやってるから、この間定食に水餃子食べて来た。

冷やし中華から、かなり話が逸れたw
今はコンビニでは、ミニ冷やし中華とかもあり、バリエーション増えたね。
前はマヨネーズは、使わなかった。
でも今は、たまにはマヨネーズもつけて食べている。

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