昔行ってた店7

Hパレード
30年とか昔の話である。
O町にあったパブで、キャバクラとはちょっと違っていた。指名の制度はなかった。女の子がテーブルに付くのだが。
近くに系列のキャバクラがあった。
そのキャバクラは1回だけ行ったことあるが、やはりHパレードとは、全然違っていた。
Hパレでは、回しの男性がいたが、入店して来た客が顔見知りで自分の客だと判断したら、回しの人に告げて女の子自らその席に着いていた。
同伴の制度はあったが、同伴料も時間縛りも無かった。
と言うか、Hパレは、時間制では無かった。
バトル入れるか、ドリンク頼むかする。
最初に行ったのは、Kさんがタウン情報で読んでたから。広告が出てたのかな。
飲み屋街の居酒屋で飲んでから、飲みに行った。
最初は7000円のロバートブラウンを入れていた。
最初の時、最初から着いてたから途中からかは記憶にないが、R依が着いて俺は気に入ったのだった。
そして、その日、今度イタトマのケーキ持ってくると約束したのだ。イタトマのミニケーキ。R依は酔っ払い相手だから、間には受けてなかっただろう。
だが、俺はそんな甘い人間ではないw
銀行行ったついでにイタトマでミニケーキを全種類2個ずつ買って、その夜にKさんと行ったのである。
最初、他の席に着いていたR依だったが、俺がケーキの箱を示すと、うちのテーブルにやって来た。そして、イタトマのケーキ🍰を出すと、大喜びだった。
それ以来、俺は同伴してR依とHパレード行くようになったのである。
R依の仲良い女の子も店が暇な時は、俺ひとりでもうちのテーブルに来て話していた。

この店は系列の本店が東京にあった。で、オーナーの伝手で芸能人がたまに来ていた。
来る日はポスターで誰それ来訪とされ、いつもと違い1時間のセット料金制だった。
よく来ていたのは、矢吹健氏と関敬六氏の2人である。
矢吹健氏は、演歌歌手。ヒット曲もある人で、年配の客が入っていた。
歌謡ショーがあり、店のカラオケで何曲か歌う。そして、トークがあり、最後に本人が持ち込んだカセットテープの即売会だった。買うと本人がその場で色紙をかくのだった。
その後は矢吹健氏が飲み始め、ドリンクをご馳走するとその席に着いておしゃべりをしながら飲んでいた。
俺は矢吹健氏より関敬六氏派だったw
関敬六氏は、浅草の芸人である。
渥美清氏、つまり寅さんの親友だった。
曲も出していて、やはり歌謡ショーとトークショー。俺はカセットテープを買って、色紙にサインと関敬六手拭いにサインを貰った。
それで、R依との席に呼んでビールをご馳走した。
関敬六氏の飲み屋は浅草にあったようだが、俺は行ったことはない。調べたんだけどね。
芸能人が来ての歌謡ショーの時は、店の外に野次馬が集まり、店内を覗いていた。同じビルの他の店の客なのだろう。
俺はイベント中には高くなるし、店員には動員のノルマもあったから、反発していた。たかが芸人のくせに、とか。
でも実際に関敬六氏と飲んでいる時は、「関先生」と先生呼びしたw
店長とかが先生と呼ぶから、倣ったのだ。
関敬六氏は何度か話したから、関敬六氏も俺の事は覚えていた。

関敬六氏の商売繁盛と言う歌は、今も歌える。

Hパレードは、2年くらいした頃、店長が辞めた。他の黒服が店長になったのではなく、他所から店長が来た。俺はその店長とは、あまり馬が合わなかった。
一度今上天皇陛下がまだ宮様だった頃、宮様も飲んでると言う高いブランデーを店に来てた酒メーカーの営業から薦められて、1本だけ入れたなぁ。5万円したかな?
その後R依が独立した時、それについていった。
だが、R依の店でR依が金目当てとはっきり知り、俺は離れた。おーそーいーw
他のHパレードにいた女の子のいる倶楽部に飲みに行ったりした。倶楽部ではほとんどの客が俺より歳上だったから、俺は若い客だったw
R依や他の子は、後に辞めた店長の開いたRパンって店で働くようになった。俺もRパンには行っていたなぁ。

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