有馬記念での万馬券

昭和62年の有馬記念の話である。
俺は昼休みに一緒に昼メシを食べて、少しサボってた同僚がいた。隣の営業所の人で、2人とも2つ年上だったが、中途採用で俺より後輩だった。
隣の営業所だが、同じブロックだったので、月に3回営業会議で一緒になっていた。シャオリンさんと助さんと読んでいた。
だから、新宿東口の珈琲西武でサボっていた。今はオムライスが人気の店であるが、昭和当時は営業マンがサボりに使う店だった。昼に行けば、スーツ姿のサラリーマンに怪しげな職業の人しかいなかったw
誰かのポケベルが鳴ると、全員が自分のポケベルをチェックしていたから。

俺は新卒2年目で、ギャンブルはパチンコも一切やらなかった。
2人は競馬をやっていた。特にシャオリンさんは、前年の菊花賞でメジロデュレンからの連勝で儲けて、たまに飲みに行った時多めに出していた。
そして、付き合いやすくする為に、俺に競馬を教えたw
俺は西国分寺に住んでいたから、武蔵野線で隣の駅が府中本町で東京競馬場かあったのだ。
俺たちは土曜日には、新宿の場外馬券場で馬券を買って、西武でサボっていた。新宿場外は1000円単位でしか買えなかったから、100円単位で買う為に後楽園場外に行ったりしていたよ。

そして有馬記念。
この年は札幌3歳王者でダービー馬のメリーナイス、弥生賞菊花賞の二冠馬サクラスターオー、ダイワアクトレスとかが人気だった。

俺は自分の営業所の所長と仲が悪かった。で、勝手にあだ名付けて、ジェームスと呼んでいた。
そしてジェイムス繋がりで、ユーワジェームスという馬の馬券買っていた。
で、有馬記念だ。
シャオリンさんは、メジロデュレン推し。
俺はユーワジェームス。
ならば、メジロデュレンとユーワジェームスの馬券を本線にしよう、と決めた。
まだ連単とかは無いから、馬券は連複だけ。
枠順が発表されると、メジロデュレンとユーワジェームスは、同じ4枠だったのだ。
だから俺は本線4-4で勝負する事にしたのだった。同枠であることもあり、オッズは160倍以上。つまり100円が16000円以上になる。所謂万馬券、マンシュウであった。

俺はこの日曜日、待ち合わせして助さんと中山競馬場に向かったのだった。
俺は中山競馬場は、初めてで、物見遊山気分もあった。
中山競馬場では、指定席は取れなかったから、自由席で見ていた。だが、あわよくば指定席取れるように行ったから、開門前に行っていたので、1レースから当然見ていたよ。

そして、有馬記念。
出走時にメリーナイスが落馬。
途中で、サクラスターオーが故障発生。
波乱のレース展開。
勝ったのはメジロデュレン、2着はユーワジェームス。
静まり返る場内。
確定の赤ランプが点り、16000円強の配当金。

俺は本線で勝ったのでした。
本当ならタクシーで中山競馬場から新宿まで行きたかったが、駅まで歩いて電車で新宿に。
そしでいつも飲んでる新宿三丁目のパブに一緒に行って、祝杯をあげるのだった。
当然俺が助さんにご馳走したよ。
助さんは、違う馬券買ってたから大敗。1レースからやっていたから、持ち金はほとんど無かったのだ。新宿からなら定期券で帰れたけど、飲み代なんかは勿論無かったよ。

シャオリンさんはメジロデュレンからだが、ユーワジェームスを信用してなかったから、違う馬券買ってて、勝てなかったw
当時はボックスとか無いから、馬券は単勝、複勝、連複しかなかったからね。

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