蘭州拉麺の思い出
2000年代初頭にJ駅にあった中華料理店である。
俺の飲みに行ってた倶楽部が、その店の前を通って駅に至っていたので、自然毎日前を通っていた。
オープン前にプレオープン的に店の前で、肉まんや焼き餃子や北京ダッグとか中華惣菜を販売していた。
肉まんは100円で、コンビニのより安かった。
それでいて大きさも大きく、味も本格的な中華料理店のものだった。
中華街で食べる肉まんと引けを取らなかった。
俺は酔ってそこで買っていたので、店の開店前に料理長と顔見知りになっていた。
そして開店。
餃子は焼き餃子と水餃子があり、ここの水餃子がすごく美味しかった。
拉麺は、注文してから目の前で麺を伸ばして打つ方式だった。尋ねたところ、これが蘭州の方法だと言っていた。だから蘭州拉麺って店名なのかと納得したのだった。
この料理長の料理は、全部美味しかった。
炒飯は、レタス炒飯とか色々あった。
拉麺はただの蘭州拉麺の他に排骨麺とか何種類かあった。
他は中華料理店にある料理は、大抵あった。
俺は新宿西口の万世ラーメンの排骨麺が好きだったけど、ここのは排骨が違っていた。これも注文してから揚げるのだが、本格中華って排骨だった。
俺はここが好きで、週に何日か通っていた。
ビールに水餃子とかも合っていた。
開店して少ししたら、店の前にテーブル置いて、そこで惣菜を販売していた。
その頃から中国人の留学生たちが、よく来ていた。店の前の中華弁当を買って、店でチンしてもらって食べていた。料理長はサービスで、中華スープにザーサイとか出してあげていた。
他にも中国人のお客さんも多かった。もしかしたら、日本人の客の方が、少なかったのかな?
ある時、店に女の子が入っていた。厨房の中に主にいて、料理の弟子だそうだった。
俺は大学時代に語学は中国語だったから、少し中国語で話しかけてみたりしていた。
彼女は林さんと言ったから、俺の方が年上なので、小林と話しかけた。
すると飲みながら食べていた中国人のおばちゃんに、「小林と呼んだらダメよ」と言われた。
「小」は日本語的には「ちゃん」の様な感じらしく、「小」を付けられるのは、仲の良い人や親戚の子や近所の子くらいだと言われた。そうだったのか。大学では年下は小を付けて、と習ったのだったが。
その後、俺は仕事中に怪我をして、3年ほど入院した。頭蓋骨骨折脳挫傷両脚首骨折とかで、2年間車椅子生活だった。
退院して蘭州拉麺に行くと、店がなかった。店名が変わっていた。
入ってみて、カウンターで食べる。店員は皆中国人だった。
話してみたら、同じオーナーの店で、前の料理長は、上海に帰ったそうだった。それで料理長も変わって、店をリニューアルしたらしい。
新しい店も美味しかったけど、もう通っていた倶楽部も移転していたので、俺はJ駅にはたまにしか行かなくなったので、新しい店にも行かなくなったのだった。
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