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5番 奥山に紅葉踏みわけ         猿丸大夫

2017年11月1日/花山周子記
奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき   猿丸大夫さるまるだゆう〔所載歌集『古今集』秋上 〕

歌意 
人里離れた奥山で、散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、いよいよ秋は悲しいものと感じられる。

原色小倉百人一首(文英堂)

『奥山』『紅葉』『鳴く鹿』『秋』、そして『悲しき』。寂しさ、もの悲しさを畳みかけるように言い連ねる詠み方だが、それをうるさく感じないのは、この歌そのものが、わたしたちの美意識の規範だからである。

『トリビュート百人一首』

と高島裕は書く。そしてまた、私はそれゆえに、この言葉の連なりが退屈に思われた。
秋の鹿の雄が雌を呼ぶ鳴き声が嬬恋つまごいの心に結びつくというのは、古典和歌の常套中の常套であって、何一つ、目新しいものがない。

おもしろいのは作者の名前。「猿丸大夫」。秋の奥山の「猿」と「鹿」の取り合わせは、悪くない。
さらにはこの作者、三十六歌仙の一人でありながら、謎の人物。
奈良時代の人と推測されているということは、百人一首の中でもかなり古い部類の作品ということになる。
こんな情報が頭に入ってゆくうちに、この歌がみるみる原始的な様相を呈してくる。

奥山のどこかで紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を、やはり奥山のなかで毛皮を纏い、弓なんかを肩に下げた猿丸大夫は耳にする。
耳にした時、彼の前に、秋の景が新しく開けた。「声聞く時ぞ秋は悲しき」この係り結びが実に効いているではないか。
下の句に四つもある「き」の音が、どこまでも透明な秋の空気を連れてくる。

この道はいつか来た道電線にからすが鳴ける冬ざれの道  花山周子

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