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「ご褒美」の1年

 60歳で定年退職した。
 周りのほとんどの方は、「再任用」という選択肢に舵を切っていたが、私は迷いなく完全退職を選んだ。

 仕事が嫌だったわけではない。38年間、きれいごとではなくやりがいを感じて勤めてきたし、「自分が好きな仕事だったから続けることができた」と退任の挨拶で子どもたちに伝えたことも覚えている。
 一方で、疲れていたというのも本音である。
「ちょっと、ゆっくりさせてほしい」
これが一番の退職理由である。

「退職して一番変わったことは、何か」
と尋ねられたら、
「夜寝る時に明日のことを考えなくていいこと」
「朝、目覚めた時に、1日の仕事のシュミレーションをしなくていいこと」
と答えていた。

 1年間の期限付きで「専業主夫」をさせてもらった。
 いい経験になった。妻も同業者だったので、家事はそれなりにやってきたつもりだし、もう手が離れて自立している子どもたちが幼い頃は育児にも積極的な方だっと思う。
 それでも、やっぱり、女性である妻の方にハウスキーパーとしての負担はかかっていたことは否めない。
 専業主夫になって、家事がいかに大変かよくわかった。
 家電の進歩で、そうじや洗濯が楽になったとはいえ、なんだかんだで気がつけばお昼になることも多かった。

 とりわけ食事の準備は、どうしたものかと頭を悩ませた。
 しかし、便利な時代になったものである。
 スマホでたいていの事が解決できる。
 TVでの料理番組のありがたいこと。オープニングのメロディーでしか馴染みがなかった「○P3分間クッキング」は、ほぼ毎回視聴し、レシピを記録した。その日の夕飯のメニューを考えるにあたり、どれほど重宝したかわからない。
 また、スマホのアプリも進化したものだ。冷蔵庫にある食材を検索欄に入力すると、メニューの提案をしてくれるサービスまであった。食品ロスにも貢献してくれた。

 妻の帰りは、早くて19時を回る。20時を過ぎることもしばしばだった。
「今から、出るわ。今日のばんごはん何?」
と、「育ち盛りの妻」の「カエルコール」を待って、準備していた料理に火を入れる。
 いつの間にか、料理が楽しくなった。もともと食べることには関心が高い方だったのもベースにあったのかもしれない。とはいうものの、冬は「鍋率」が高かったが……。私は、鍋料理が大好きで、食卓に鍋がどんと鎮座しているだけでテンションが上がるタイプだったから。市販のいろんな鍋のスープを試してみた。
「鍋の出汁くらい自分でつくれるやろ。お金もったいない」
と叱られることもしばしだだったが、次々に新製品が発売される魅力的な鍋の素を目にすると、試したくなる衝動を抑えることができなかった。

 息子の住む沖縄への長期旅行に、大学時代を過ごした北海道への旧交旅行、中間地点の名古屋には結婚して居をかまえた娘がおり、車を飛ばして度々訪れた。
 その娘が子宝に恵まれたのが11月。晴れて「おじいちゃん」になることができたのもこの年だ。名古屋までの3時間の道のりがいつしか遠いものでなくなっていた。
 映画館にもよく行けたし、サブスクリプションで視聴した映画は80本を超えた。全く興味のなかった韓流ドラマも「トンイ」を紹介され60話を全て見きった。
 友人との「うどんツアー」に温泉旅行……。

 たっぷり1年間、ご褒美期間を満喫させてもらった。

「退職したら、初めはいいかもしれんけど、1ヶ月もしないうちに退屈して気持ちがしんどくなるで」
「鬱状態になる人もおるって聞くよ」
いろいろ耳にしていたが、私には、全く無縁だった。
 
 なぜか
 
 私は、「ぼうーっと」することが大好きで得意だからだ。
 いや、この「ぼうーっと」できる時間が、至福の「極楽タイム」だと思っているから。
 

 

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