日記 11月29日
今日は授業の切り替わりのための休みで、一日なにもない日だ。早めに寝れたので朝早く起きたかったが、夜中になぜか目が覚めてしまい結局11時に起きてしまった。
ゆっくりして、近くのマックに来る。周りで人が会話をしている中でnoteをみたり文章を書いたりしている。なんだか心地がいい。
何もない日は余計なことを考えがちだ。適度に授業とかやらないといけないことがある日はそれに集中してやることやったからあとは自由にしようってなる。趣味をしたりそれなりにたのしんでいる。しかし、何もなく体調も悪くない日はもっと考えないといけないことがあるのではとか、ほかにもやらないといけないことがあるのではないかと思ってしまって動きが止まってしまう。
余裕があるときに何をするべきなのか真剣に考える必要がある。なぜか、余裕があるうちに学校のことを終わらせようと思えない。下手に考えずに目の前のことを淡々とこなすのが大事と言われている意味がよくわかる。ちゃんと整理して考えることもできないのに下手に考えようとして、頭の中がごちゃごちゃしていることに気づいて萎えてしまっているだけだ。そうして何もわからなくなるだけ。
人の頭の中がどうなっているのかなどわかりやしない。だから自分の頭の中のごちゃごちゃが普通なのかおかしいのかわからない。どうやって解決していったらいいのだろう。正しい正しくないもわからない。
思考が一番大事だとの思想から見ると、考えようとしていることはよいことである。それが行動を止める原因だとしてもトライしていることに意味がある。やろうとしないといつまでたってもできない。
はなから、考えないでとりあえず目の前のことをやればいいと思えていればこういうことにはなっていないだろう。そうしたらもっと簡単に大学を卒業できていると思うし、それはいろんな部分でよい方向に向くだろう。
そうしないよりいい仕事についてお金をもらえるだろうし、少しでも多くお金をもらえればもっと遊べるし希望をかなえられる。
そうすれば周りの評価は上がる。好きな人からの信用も上がる。
それらを捨ててでもそうしないのはなんでだろう。将来を見据えていないからなのか、自分を失うのがこわいのか、そうしていない自分にアイデンティティを見出しているのか。
たぶんそんなに考えていない。
みんなの言う風に目の前のことをして、劣っているなりにできるようになることが嫌なのかもしれない。そうするとただ同じような道を遅れてたどってただうまくできない人になってしまうような気がする。
なにものかになりたいのかもしれない。自分には隠れた良い部分があってそこに気づいて伸ばせばほかの人とは違ったすごい自分になれると思っているのかもしれない。
僕は一貫しなさすぎる。脈絡がなさすぎる。
毎回同じような考えで行動することがない。そのときによって感覚も考えも調子も違いすぎるから一貫した行動ができない。一貫した考えを持つことができない。
唯一一貫しているのは、ぼくの本能や癖、習慣だけ。授業には出ないといけないっていうのは無意識にそう思える。だから授業にはどんな調子でもだいたい行けるようになった。
11月29日
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