なんとなくの死生観

別に今死んだっていい気がする。ネガティブな気持ちではない。今の生活は十分楽しいし満足して過ごせている。きついわけじゃない。たまたま死について考えてみようかと思ったとき、自分は別に死んでもいいかなと思っただけだ。死が怖いと感じたことはない。痛いならすごく嫌だが。生きている生きていないという面でみたとき、生きていなくてもいいかなと思う。

最近は生きることがとても楽しくなってきている。それなりにつらいこともたくさんあるが、自分のやりたいことができてきているしそれが形になるのを実感できていてずっと続けていたら将来もっと上手になっているのかと思うと将来が楽しみである。そう思うと生きている意味と言えば、やりたいことをやり続けて将来できることが増えていたりもっと面白いと思うことを見つけられてていたりするかもしれないのでそのときまで生き延びていないといけないから、ということになるだろう。

死ねない理由はある。家族や周りの人が悲しむからだ。
死なない理由として、自分が死んだら悲しむ人がいる、というのは僕はあんまり納得できない。他人のせいで生きることを強制されているような気がする。自殺しちゃいけないことに関するつぶやきとして、周りの気持ちを考えろとか死体の処理がああだこうだと言っている人はぶん殴ってやりたい(死ねばいいのにと書こうと思ったがあまりに強い言葉すぎるので控える)。
でもなんとなく自殺はしちゃいけない気がしている。

死ぬのが怖くないのは想像力が足りていないからなのかもしれない。死は怖いもののはずである。病気になるのも怖いはずだし事故にあうのも怖いはずだ。でもあまり気にしていない。それはそれで仕方ない。そうなればそれなりに向き合って生きてきたいと思う。

病気になったら嫌だし事故にあったら嫌だし治療にものすごくお金がかかる可能性があるから今頑張って働いてお金を稼いでいるという人が周りにいる。そういう人からすれば僕たちみたいなお金を稼ごうと努力をしない人のことは理解できないみたい。そりゃそうだ。

保険ってなんだろうと興味がある。保険金の保険だ。もしかしたら事故を起こしてとんでもない額の請求がくるかもしれないから月に数千円払っとけば保険会社が肩代わりしましょうってやつだ。あれなんかずるい気がするのは僕だけなのか?たしかにお金払っとけば最悪の状態は避けられるのだろう。否定しているわけじゃなくてなんとなくなんだろうって思ってるくらいである。大昔は保険なんてビジネスはなかったわけでしょ。どんどん人の手によって未来の安心を手に入れられる時代になっているということなのか。偶然性から必然性の時代へ。

この世界に産まれてきたこと、存在したこと、それが100のうち99くらいのことで、どうやって生きるかは残り1くらいのことなんじゃないか。
という言葉が好きだ。

死と生の間にはそれだけの大きな隔たりがあるということだと思う。

2024/4/18


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?