学校をやめるかやめないか迷っている

提出期限が近づいており、やめるかやめないか、詳しくいうと、本気で課題と向き合うかやめて実際の社会で生きるべきか迷っている。
学校に通うのは、課題をやりこなすというのは今までできなかったことで今でも簡単ではないと思っている。それから逃げたいのか逃げたいから、やめることへ本気で悩んでいるのか。
今は本気だ。自殺者を減らすためにおれができることはないか。いのっちの電話のようなことをおれにはできないのか。それは本質的なことだと思う。おれがやりたいことだよな。
社会では、やりたくないことも出てくるわけだから、そのやりたくないことが今の建築のことであるのかもしれない。
やりたくないことでもそれがやるべきことならやらないといけない。だけど、学校のことは必ずやらないといけないことではない。
おれがやりたいことは自分が生き延びること、他の人と共に生き延びること。人を助けること元気を与えること。
なぜやりたくないか、できない、やれることをやろう。学校のことができるようになることは他につながるかもしれないけれど、それは本質ではない。本質でないから別にやらなくてもいいんじゃないかとなってしまう。納得がいかない。できることをしようぜ。本当に生きる中で、やらなければならないけれどできないという場面に出会えば、そこでがんばればいい。そこで別に逃げてもいいんだ。また次やればいい。本質にいないとブレブレだよ。卒業してもしなくても、企業につくわけじゃない。自分がどのように生き延びることができるのか、それを知らなければならない。自分にどういう力があり、というか、誰でも簡単にできるお金の稼ぎ方をしり、それがおれのようなひとが生き延びるための方法だ。おれは今自分で生き延びることが出てきていない。仕事もしてないし、親からの仕送りで生きている。元気になってきてそれができそうなのだ。そんな自信が出てきている。いや、その自信は正しいのか。今日その自信が空想の自信が出ているだけじゃないのか。自信が出ているときは危ない。少なからず自惚れているところがある。焦りがあるから体が動くだけじゃないのか?もし、やめて実際に社会で生き延びるとなった時に、無気力になって人に頼ることになってしまうのではないか。力は続くのか。安定を求めるな。自ら生み出せ。そこにしか理解はない。経験でしか理解はない。
周りの人に学校を辞めることを認めてもらうために、どうやって生活していくか具体的にしないといけないか。じゃあ辞めるとして、その先どのように動いていくのか。お金はどうする。どうやってお金を生み出すのか。今のところバイトが食い繋ぐことができそうなところである。なんのバイトか。おれは死なないことがわかった。周りにも人が出てきた助けてくれる人。助けてくれるよ。どうなったとしても。できなくて、鬱になっても生き延びる方法はある。周りに人もいる。おれには家族がいる。みんな助けてくれる。助けてもらうにはおれも何かしてあげる。
社会はどんなに弱い人でも生き延びれるべきである。だが、今はそうではない。お金が稼げない人は必死に生き延びるだけで精一杯で疲労する。疲労し、きつく、死にたくなる。やはりおかしい。自分も弱い人間だからこそ、試す価値があると思う。実験対象として自分も入れることができる。自ら見つけ出すことができる。本当に生きるためにみんなのいうような生き方をしないといけないのか。大学に行き、専門的な技術を身につけて、良い企業につき、働かないといけないのか。じゃないと安心できないのか。それでしか安心できないということ自体、なにか社会のおかしさを表してるのではないか。
弱いものでも生きることができる。安心して生きることができることを証明することがおれの使命ではないのか。自分ですら生き延びることができるかはわからないけれど。そこでいっぱいいっぱいかもしれないが、それならそれでいい。生き延びろ。そして生き延びれば難しさや、乗り越える方法を見つけることができそう。それを、言葉にする。人に伝える。言葉にするのはできる。少しは。

これは授業中にメモしていたこと

8月1日

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