スマホを忘れた一日

12月13日

学校があるため母の車に乗って駅に向かう。5分ほど経ってスマホを家に忘れてきてしまったことに気がついた。一瞬焦る。僕にとってスマホはあって当たり前のもので、スマホがないとできないことばかり。引き返そうか迷ったが、それでは新幹線に間に合わず授業に遅れるのでそのまま駅に向かうしかなかった。

スマホがなくても授業は受けられる。スマホがないとどういう過ごし方になるのか試してみるいい機会だと思った。

僕の準備の悪さを注意する母親の言葉を無視して、気分の良い僕は反省もせず呑気なことを言っている。

スマホがないと時間がわからない。新幹線の発車時刻に間に合うか心配しながら駆け足で改札に向かった。

新幹線ではいつも本を読むか、SNSを見るか、動画を見るかのどれかをしている。たまに宿題をすることもある。今日はスマホがないし頭もスッキリしているから本が読める。「石山修武の設計ノート」という本。日記のような形式で石山修武の建築の話が載っている。この人の、良いものは良い悪いものは悪いとはっきり言ってくれるところが好きだ。感覚は人とは違っているけれど本質を捉えていて、参考になる。僕ら若者は本当に良いものは何かを見る目がまだ足りない。だからこそ、経験を積んだ人の言う良いものはなぜ良いのかを考えることで感覚が養われていく。大衆ウケではなく、"感想は人それぞれ"でなく、自分にとってどれが良くてどれがダメなのかはっきりとした視点を持てるようになりたい。自分が選んだものはなんでそれじゃないといけないのか、それをもっていたい。今の僕はなんとなく、みんながよいといっているからという感じだ。


今日は空気がきれいで晴天だったので視界が透き通って見える。いろんなものが綺麗に見える。気分がいいから透き通ってみえるのか天気のおかげなのかはわからない。たぶんどっちもなのだろう。

気分がいいと感覚が研ぎ澄まされる。全ての感覚にバフがかかる感じだ。すきなものが明確にわかる。嬉しくなる。

秋の色が好きだなと思った。紅葉の色あいが好き。自然が作り出す美しさは本物だと思う。

人は何を美しい、すごいと思うのだろう。普通にはないからすごいのか、人がつくったものでも美しいと思うものはある。自然がつくる美しさと人がつくる美しさは別のものだろう。人がつくったものはたまに「本物じゃない」と思うときがある。

長い時間を過ごしながら、僕の感覚もどんどん良くなってきている。そんな風にしてスマホのない時間も楽しむことができた。気分がよい調子がよい日だから出来たことでもある。


朝、17時15分発の新幹線で帰ることを母と約束をしていた。連絡が取れないため先に決めておかないといけなかったから。授業が思ったより早く終わったので暇をつぶしながら約束の時間の新幹線に乗って帰った。

いつもの迎えの待ち合わせ場所につく。いつもはそこにつくとすでに母の車がある。ところが数分待っても到着しない。平日の帰宅ラッシュの時間で道路が混んでいるのだろう、と思って待つ。そこで気が付いた。帰宅の途中は、とにかく約束の時間に行きさえすれば家に帰れると思っていた。約束の時間に間に合わなければ連絡が取れずに大変なことになる。しかし、自分が間に合っても相手が間に合わないという可能性のことを忘れてしまっていた。相手の気持ちを想像してみる。迎えに行くというのは完全に親切心である。でも迎えに行く時間に遅れてしまえば相手に待ってもらわなくてはならなくなり申し訳なくなるだろう。しかも、相手との連絡手段がない。遅れることを伝えられないので待つほうは途方に暮れてしまうと思い心配と焦りと申し訳なさでいっぱいになるだろう。

そう思った僕は約束の時間にこないことにひどいと感じながらも、相手もつらいだろうな(笑)となっていた。

これは完全に携帯電話の普及していない時代のあるあるであろう。約束は事前に行われ、いろいろあって約束が守れなくなると相手は途方にくれ、自分も申し訳なさでもどかしくなる。

そんな昔に思いを馳せながら待ち時間を過ごした。たまにはスマホを持たないこともいい経験だななどと思い、すこしは平静を保てた。

40分くらいたってさすがに状況を知りたくて、駅内に行くとちょうど公衆電話があった。公衆電話を使うのは中学生以来のような気がしながら母と連絡が取れ5分後には迎えがきた。

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