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河合幹雄先生の訃報に接し 先生を忘れない

 河合幹雄先生の訃報に接し、心から哀悼の意を表します。
 今日のことを書き留めておこうと思います。河合先生は、私には特別な方でしたから。限りなく、リスペクトする方でした。

 もともと、河合隼雄先生のご著書は拝読したことがありました。心理学の第一人者ですから、書店を徘徊する趣味があれば一度は手にすることになります。河合雅雄先生のご著書も拝読したことがあります。サル学の本でしたが、根本的に「文化とは何か」を考える上でとても示唆に富んだ言及もされていました。そして、サル学への興味を入り口に、私の興味は今西錦司先生の「生物の世界」にまでつながっていくことになるわけですが。
 ともあれ、私にとって「河合家」は輝く知性でした。それが何の運命のいたずらなのか、そんな河合家、河合隼雄先生のご子息である河合幹雄先生と出会うことができました。ご紹介された時は、脳内で「河合家? あの!?」となってしまいました(が、表は平静を装っていました)。
 河合幹雄先生は、お会いするといつも優しくて知的でそれでいて笑顔がチャーミングで、言葉でわかりやすく説明しようとなさる方でした。いろいろなことを教わりました。ご専門の分野ばかりではなくいろいろなことを知ってる方でした。
 そんな河合先生が、私が登壇したトークイベントをご視聴してくださったこともあり…。それは他の登壇者の方のお話がお目当てだったのかもしれませんが、私にとっては何という僥倖だったことでしょうか。先生と出会えた時点で、「生きているとこんなに良いこともあるんだ」というレベルでしたが、身に余る光栄でした。
 それから何年も経たずに、河合先生は逝ってしまわれた。この「なんで?」という混乱にも似た感情、本江邦夫先生の訃報の時もそうでした。私にとっての輝く知性は、残酷にもとても早くに逝ってしまわれる。

 生者はさて…。何の因果でしょうか。前回の記事ではベンヤミンの「複製技術時代の芸術」の話をしていますが、あの記事で前もって、何という決意表明をしてしまったのでしょう。私にだって呆然とする遑は欲しかったのに。

 いただいたお名刺は一生変わらずに大事にします。河合先生、いろいろなことを教えてくださり、本当にありがとうございました!

 安らかに。わが敬愛する輝ける知性よ。

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