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古い時刻表にハマった話

「時刻表鉄」という鉄道ファンの分類が話題になって久しい。時刻表を見て情報を引き出し、様々な考察を行う鉄道趣味の一つの在り方…とでも称せば良いものだろうか。最寄り路線の変貌や馴染みのある旅程を昔の時刻表で辿る旅をしていれば一日くらいたちまち過ぎてしまうだろう。

筆者も最近過去の時刻表を数冊購入しあれこれ眺めるようになった。
・1925年4月号(JTB時刻表の創刊号)
・1967年10月号(「ヨンサントオ」以前の動力近代化進行中)
・1988年3月号(JR最初期にして「一本列島」改正)
これらを手元にある2016年や2020年、2024年の時刻表と見比べるとなるほどこれは興味深い。単純な所要時間の変遷もさることながら、かつての運行体系と今の違いからその意図を読み取るのも味わい深い。

この中で最も今との違いが大きいのはもちろん1925年のものになる。近代日本史においては関東大震災から2年後、普通選挙法と治安維持法というワードがセットで出てきた方も多いだろう。そんな年の鉄道はもちろん今とは大きく異なる。例えば山手線は現代のような環状運転を行っていなかった(環状運転の開始は同年末)し鹿児島本線は八代から水俣や川内を経由する海沿いのルートではなく現代の肥薩線ルートを辿っていたし、もちろん東海道本線は国府津から山側に逸れた御殿場線ルートで上越線はまだ国境区間がない。

この時代ともなるとそもそもの時刻表のレイアウトも大きく異なるわけで、最も面食らうのは午前と午後の表記。この時代は24時間表記ではなく午後の時刻は太字で記されていたのである。しかしこれが気を抜いていると午前と午後を間違えそうになり、なんとも難儀なもの。しかも当時の列車は所要時間が今と比べて当然ながらかなり長くそこそこの長距離路線ともなると必ず午前と午後にまたがる、読んでいると気合の必要な一冊だ。
しかし主要幹線すら整備途上だった時代に全国各地を結ぶ汽船や旧外地の列車の時刻によってどのように東京から移動できるのかという「帝国の交通」を知るという点において唯一無二の魅力がある。

1967年のものは基本的な様式はだいぶ現代に近づいてきており分かりやすくなっている。24時間制の表記がこんなに便利だったなんて…この時代の魅力といえば多彩な列車名と赤字83線で整理が始まる前のローカル線だろう。国鉄は既にその最期までついに解決を見なかった赤字問題に苛まれつつある中で、この中に書かれていたローカル線も既に少なくない数は実質的にその役目を終えていた頃だったのである。国鉄に限らず私鉄も今はなき路線がいくつもあり、郷愁を誘う。一方でこの頃はまだ新線建設への取り組みも盛んに行われていた時期であり、湖西線(その前身とも言える江若鉄道はあったが)や伊勢線(現伊勢鉄道)などのいくつかの現代に至るまで主要な路線がまだ存在しなかった時代でもある。

少しマニアックな角度からだと、この頃はまだ各路線の急行列車を中心に多彩な列車愛称が使われていた時期だった。翌年のヨンサントオ改正で一気に整理がなされる前の最後の輝きか、大幹線は言うまでもなく亜幹線でもいくつもの列車愛称が並んでおり細かな狙いの違いはあるのかというような点も含めて見ていると興味をそそられる。またこの頃にもなると当然航空機の案内も今と同じ位置に収録されている。JALは幹線のみの時代で、ボーイング727とコンベア880、そしてDC-6Bすらどっこい生き残っていた。ヘロンやDC-3などがまだ飛んでいた時代というのも改めて見てみると驚かされる。

1988年は上記の2つと比べてだいぶ今に近い印象を受けるだろう。新幹線は今で言う整備新幹線以外は概ね開通済み(東北新幹線東京-上野が未開通)で、ちょうど一本列島改正成った時だけに青函トンネルも瀬戸大橋もある。さすがに大久保諶之丞が言った「午後に浦戸(※現在の高知市のうち桂浜水族館等がある地域)の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得ん」には少し心許ない(※高知14時12分発の急行あしずり4号→マリンライナー26号→ひかり62号→雷鳥35号で19時51分)もののなるほどこの速度は1925年あるいは讃岐鉄道開業の1889年には信じられなかったものに違いない。そもそも1925年には岡山から高知までの鉄道は全通しておらず、大阪まで汽船で出ていた時代なのだ。
※:2024年6月現在では14時13分発の南風18号からのぞみ102号に乗り継ぎ、サンダーバード39号で19時に敦賀に到着する。6~7月であればギリギリとはいえなんと日没前に着いてしまうのである。

この頃の時刻表での驚きは国際航空路線の時刻表が載っていることだった。JTB時刻表ではこの直前の1987年より掲載され、一時的に中止された時期もあったようだが現在に至るまで掲載されている。筆者の場合自分で買うのは基本的にJR時刻表なのでこれ自体が新鮮だったのだが…()
現代であれば自由化やLCCの多様化などによりWebで見るものという意識が定着しているが、アンカレッジ経由のジャンボというような便が当たり前だった時代を垣間見ることが出来たのは思いがけぬ僥倖だった。

これらの歴史的な時刻表ももちろん良いものだが、時刻を確認するといいう本来の目的で買ったつもりの時刻表もまた「歴史上の1ページ」を物語る存在になることは間違いない。2016年は北海道新幹線開業時、2020年は常磐線全線再開…そういったタイミングで買ってきたものだがそれだけではない。2020年の時刻表は3月号、そこに収録された臨時列車の内実際に運行されたのは果たして何%だったのか。「戦時下の時刻表」のごとく後世に語り継がれるような存在をそうと悟ることなく買ったということを思うに今この瞬間も後世から見ればまた歴史の中なのだと、少し感慨深い思いに浸った。

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