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未来を拓くソルの物語、臨時の一席     「ファーストペンギンさまへ」

はじめに

 シリーズ第一作「万博と能登半島地震」めがけて。
 いのいちばんに飛び込んで下さった、ファーストペンギンさまへ。
 お礼代わりに、臨時の一席。
 ソルの物語、誕生のいきさつを。

起 こんな私で、ごめんなさい

(一)無条件降伏のような離婚

「人生を物語ろう」と決めたのは、三十年近く昔の三十七歳。
 よりによって、我が子が高校受験に臨む、ズバリ、渦中。
 夫の尋常でない恫喝、執拗なイヤガラセに精根尽き果てた私は、強いられるまま、離婚届にサインしました。
 親権欄も命じられた「お前!……で、いいよなッ」通りに。
 無条件降伏のような離婚、天涯孤独同然、来月の生活費のみ握りしめて。
 経済的、社会的、心理的にも、超特急で人生をサルベージする必要があったのです。
 が、今日、明日食って。
 すべり止めの私立に通い始めた子を援護すれば、手一杯の毎日。
 近所のニワトリを起こして回れる「ほど」早起きして。
 書いて、書きまくって、出来上がっていくのは書き損じの山でした。

(二)何もかもガマンすれば

 夫をよろこばせるためなら、仕事、プライベート、ありとあらゆる場面で、逆立ちに、宙返りもやってのける。
 で、お義母さんに叱られる。
「あの子がああなのは、あなたが出来るフリをするからよッ」
 彼女が目のなかに入れても痛くない次男坊の「要求、命令、考え」には、「舅姑への絶対服従」も含まれる、のですが。
 結婚から、足かけ十八年。
 何もかもガマンすれば、みんなに愛される、幸せでいられる。
 そう信じていた……平たくいって、マヌケが。
 人生の、何を物語れるというのか。
 あるある、あります、ひとつ。

(三)サクセスストーリー

 二十四歳の時、崩壊寸前までぶっ壊れた心を「自力で修復しました!」
 というのも、初め、泣きの涙で訪ね歩いた、精神科医と心の専門家、ざっと九名が、そろってけんもほろろ。
 しょっぱなから「いいトシして、甘えてるたけよッ!」
 次「うつ病、みたいなものですか」の問いに、「え、ま」
 その次「あなたをビョーキとは認めませんッ!」
 また次「過去へのこだわりを棄てたら、相談に乗ってもいいですよ」
 そのまた次「成長すれば、自然に良くなるでしょう」こんなのばかり。
 最後は大学病院で、二十八歳の新米ドクター。
「治るかどうか、治るとはどういうことか、わからないのです」
 あまりの誠実さに……自分で自分を治すことにした――治った。
 サクセスストーリーに仕立てたら、ウケるかな。

(四)八百万の神さま

 思い立って五年、十年……ぜんぜん、モノになりません。
 理由の一、なるほど心の崩壊は食い止めた、再構築も上々。
 でも、すっかり慢性化した心的外傷は、未だ、生キズ。
 他生ならぬ多少の、さまつな縁に斬りつけられ、打たれるだけで、流血の大参事――ウソ、大げさでなく、ズキンズキン痛む。
 理由の二、ワーキングプアでなくなるために、働きに働いて、ドへたくそな文章を何とかするヒマが、どこに?
 おまけの理由が、自分事なんぞにかまっていられない、一大事。
 悪い子でなく、良い子でなく、普通の子でもない、わけのわからない子の、大学卒業後、年齢が上がるにつれて。
「自閉症?」「社会性」に対する親としての懸念、焦燥は。
 平気そうな面の皮一枚めくると。
「こんなんで生きていけるんかああああこの子はあああアタシもおおおお」
 絶叫するかアタマの血管がブチキレる、秒読み段階というくらい壮絶に。
 そのくせ(アレ?)はたと気づくと。
 トイレにも、おわします、八百万の神さまに手を合わせています。
「どうか、あの子が、自分らしさを活かして、生きられますように」

(五)こんな私で、ごめんなさい

 なぜなのか――リアルタイムでは、自分にもナゾでした。
 私は、常に問答無用で怒鳴られ責められ、叩かれ、土下座させられ、念入りに折檻されるか、納屋や蔵、倉庫に閉じ込められるか、家から追い出されるか、という子ども時代を送りました。
 年がら年じゅう、改心「ごめんなさい、二度としません」また改心「ごめんなさい、これからはちゃんとします」を誓わされたけれども。
 とがめられた理由がわからないことも多かったのです。
「また、ヘマをして、ごめんなさい」
「またまた、怒らせて、ごめんなさい」
 しまいに「こんな私で、ごめんなさい」
「生まれてきて、ごめんなさい」
と思うしかなくなりました。

(六)大迷宮

 四六時中「ごめんなさい」では、命があからさまに狂ってしまう、と、骨の髄まで思い知っていたから。
――命の狂気は(第一作で話したように)他者の命に及ぶ「他害型」と自己の命を的にする「自傷型」の二通り。
 狂った命がもたらす痛苦は、どちらの型も激烈、果てがありません。――
 ただもう……ひたすら、子を同じ目に遭わせたくない、一心。
「自閉症、あらため発達障害、生まれつきのハンディ?」
「だろうと、なかろうと、子が、健やかに生きていけますように」 
 祈って、祈って、祈るあまりに。
 スーパーマン、ワンダーウーマンならぬ身が(空を飛ぼう、岩も砕こう)鼻息で、とうに成人した子の「命を守ろう」と思ってしまう。
 思いは思い――何を、どう守れば、守ることになるのか。
 せいぜい二十代までを守るのとは勝手がちがう、正解などあり得ない、超難問です。
 果てる日のない「親心のひとり相撲」
 あるいは「親子のバトル、心理戦と実戦」に、いつもくたくた。
 そこに、疼きに疼く、古い、新しい、心のキズ。
 いったいぜんたい、何を物語りたいのか……おぼつかない私のペンは、いつも、いつまでも、大迷宮をさまようのでした。

承 二千年がほんの一瞬?

(一)『マザー・ネイチャー』

 何十、何百回、おのれをいましめたかわかりません。
「見果てぬ夢……しがみつくのは、ぶざまだよ」
 母親をさんざん嘆かせたわりに――「おまえは、本当に飽きっぽいね」
 私は、自分に腹が立つほど、あきらめが悪いのです。
 離婚したのが、一九九六年。
 運命の本(のうちの一冊)に出会ったのは。
 二〇〇五年以降、同八年までの間のいつか――ちょうど、難しい機械加工技術を習得して、運良く正社員に昇格できた、すぐ後。
『マザー・ネイチャー』副題「母親」はいかにヒトを進化させたか
 サラ・ブラファー・ハーディ 早川書房 2005年初版
 大判のハードカバーが上下巻、一万円出しておつりはいくらだったか。
 はるばる県立図書館に出かけた折、ふと目について借り、一読後、間髪を容れずに買ってしまいました。

(二)二千年がほんの一瞬?

 貧困層の身の丈には合わない、命がけの「ぜいたく」
 内容も……人類学と霊長類学を専門とする学者の「進化論」
 私には「???」
 しかし、精神障害をセルフ診断、治療する時も、同じでした。
(このヤマには、宝がどっさり隠れている)カンだけが頼り。
 気になるところに線を引っぱったり、好き勝手に書き込みしたりしながら――だから自分の本、でないとマズイ。
「どういう意味?」「何て読む?」「わけ、わかんない」「うんうん、それならわかる」
「二千年がほんの一瞬? スゴイね、進化!」
 本とおしゃべりするように、読み通します――「この本に、命がかかっている」切迫感が、ぐいぐい後押し、してくれる。
 全体の何割?をまだら状に(何とな~く、わかった?)感じで読了後。
 ある時、アタマに豆電球でも灯るように(あそこ、わかった!)瞬間が訪れる。
 それがいつも、何かしらの活路につながっていくのでした。

(三)関節炎の老いぼれメス

『マザー・ネイチャー』から教わったのは、「進化という視点」にとどまりません。
 長くなりますが、ひとかたまりを引用。
 上巻362ページ「なぜ年老いたメスはそれほど献身的なのか」より。《そうした英雄のひとりがソルだった。私の見たところ、少なくとも二十五歳にはなっていたラングールである。すでに月経は止まっており、死ぬ前の五年間はもう繁殖をしていなかった。彼女は群れの周縁部でひっそりと孤独な暮らしをしていた。だが、図11・4に示したオスが彼女の群れを襲いに来たとき、侵略者と怯えている赤ん坊のあいだに入って、自分の二倍近くも体重のある尖った歯のオスにくり返し立ち向かっていったのは、まさにこのソルだった。子殺しオスが幼児をあごにくわえて逃げ去ろうとしたとき、ソルはそれを追いかけ、傷ついた赤ん坊を奪い返した。とりあえず危険が去り、傷ついた幼児がふたたび母親の腕に抱かれると、ソルはまた年寄りらしい遠慮がちな態度に戻った。
 関節炎の老いぼれメスが、年とともに社会の主流から取り残されていくのは、とくに意外なことでもない。それよりも不思議だったのは、老いぼれたのけ者から果敢な防衛者への、ソルの大変身である。動物がこれほど大胆に思いきった行動をするのを、私はあとにも先にも見たことがない。ソルは自分より明らかに強い動物に、信じられないような激しい無私の決意で立ち向かっていったのだ。》
 ラングールとは、インドなどに棲息する大型のサルです。

(四)カッコイイ大人になりたいッ!

「ソルみたいな、カッコイイ大人になりたいッ!」と思った時。
 四捨五入すると、私はもう五十代。
 生まれて初めて,、手本にしたい(サル、だけど)大人に(本のなかで、だけど)出会えたこと。
「大人になる」余地は、まだ残されているのかもしれないこと。
 二十年下の我が子には、もっと、もっとあるにちがいないこと。
 私の心は「それなら……生きていける」安堵で、いっぱいになりました。
「スゴイな、ソル!」
「ようし、ペンネームはソル!」
 それから、あっという間に時は流れて、現在、六十五歳も半ば過ぎ。
 仕事の帰り道で、ひときわつらくなる、手指の腫れ、背中から股関節、下肢に及ぶ痛みに顔をしかめながら、とぼとぼ歩く私を。
 後ろから来る人が、次々追い越していきます。
 英雄にはなれそうにないけれども。
 ソルに近づけた。
 どこかくすぐったい思いを抱きしめながら。
(エイ、ヤアッ)ソルばあさんを名乗っている、というわけです。

転 老いに流れる時

(一)暴虐と惨状を俎上に載せる

 第一作では、日本社会を大いに批判しました。
「国家財政の病巣」
「かえって生存を脅かす社会保障制度」
「高齢者が、労働市場から足を洗えない現実」
「戦争のリスクを煽り立てる潮流」
 ラングールの物語になぞらえると。
襲ってくる」「自分より明らかに強い、尖った歯の動物」とは。
「三権、とくに政府及び行政機関」と「その支持基盤」を成す、強くて偉い、または偉そう、強そうな、多種多様の「人間」です。

 襲われ、傷つきっぱなしで斃れたくない、と思うのは。
 暴虐と惨状を俎上に載せるべく、物語るのは。
 そっくりそのままを、子世代以降に押し付けたくないからです。
 高をくくっちゃいけません。
「日本は公明正大で恵まれた国」とか。
「弱者――貧困を初めとする、ハンディがある人だけの問題」とか。
「我が家は全員マトモで、カネの備えも怠りないから大丈夫」とか。

(二)貧しい老人は存在しない

 いまさら? ですね。
 アメリカの有名大学に籍を置く日本人の若手学者が「年寄りなんか、集団切腹でもすればいい」趣旨の発言をしたことがありました。
 前提は、思慮浅薄な俗説。
 高齢者をひとくくりに「全員が小金持ち」
「社会保障制度に優遇されすぎている」
「甘え放題のツケを、若者、子ども世代に回す、けしからんやつら」
 世間知らず。さもなければ、無視、軽視を決め込んでいる――貧しい老人は存在しない。か、モノの数に入らない。
 学究を名乗る以上は、精確を期してほしいもの。
 日本の高齢者は「富裕と貧困の間、どこに位置していても、すでにたっぷり、国家財政が散財、浪費するツケを支払わされている」
 それでも「生存に支障がない」
 おかげで「生存を圧迫されている」
 とうの昔「生存の危機に瀕している」
 日本の高齢者は、大ざっぱに分けて、三種類。
 ゆめゆめ、お忘れなく。
「三つの間には、微妙なグレーゾーンがある」
「上には上がいて、下にも下がいる」

(三)これは、みっともない蛇足

① ではあるけれども、ひとつのリアルをズシッと、伝えておきたい。
 アタマでわかったつもりの現実と、直面して思い知る現実は、イコールではない。
 こんな現実もある。
 と、知らないよりは知っておいた方が、きっといい。。
「生きるのにふさわしく、生きていく」何かしら、足しにしてもらえると、ありがたい。

 何年前?までは、当然のこととして、六十歳から年金を受け取れた。
 定年後に困窮し、六十からの受給を申請した私は、三割減額の条件を飲まされたが、制度改正に伴う移行的措置。数歳下の還暦には適用されない。
 つまり、六十歳からの受給は不可能になった。
 ひと月おき二か月分振り込まれる(三割減額済み)私の年金は十三万円。
 月あたり六万五千円になる。
「この……心細い金額から?」
 先日、舞い込んだ通知に血の気が引いた。
「介護保険料」これまでは、銀行振り込みで月五千円弱――七月末も納付。
 気たる八月は二万五千円超、以下偶数月に一万四千円超。
「法律の定めにより、年金から差し引かれる」旨、事務的、横暴、高圧的、冷酷に記されていた。
――本年七月末から八月末までの一か月間。
 我が家が拠出する公的負担金は、合計六万千百六十七円。
 一か月分の年金が、ほぼ丸々消える。
 この調子で強制徴収が続けば、この年末、家計はふたたび危機に陥る。
 起死回生へ大きく舵を切って、一年。
 カードローンからの借り入れに頼らず、生きてきた。
 が、生きていく、たしかな足場は、まだ、ない。――
 無知の涙を流そうにも、いくたびこんな目に遭って?
 もう、涸れ果ててしまった。
 DV亭主とは別れられたが、公に対しては打つ手がない。

 だから、息切れとからだの痛みに耐えて、働き続ける。
 しかし、一般的な高齢者向けの求人情報には「誰にでもできる」軽作業とは名ばかり、老いの骨身を粉砕する「お仕事」がずらり。
 そうそう、時給は、最低ラインか、毛の生えたような……だからね。
 では〈しゃっきり〉半世紀近く働き通す、ガタの来た命に「フルタイムの週五、六日」就労を強いる、としますか。
 自分に厳しいヤツは、往々にして、他人にも容赦がない……というのに?
 四の五の言わず、命の限界いっぱい「稼ぐ」先に待つもの。
 うっかり、よろけた、支えきれなかった……拍子に訪れる、不慮の事故。
 大事に至らず、以後、一瞬たりとも気を抜かずに働いたところで。
 手ぐすね引いて待つのは、公的負担金全般に及ぶ非情無情な増額……こっちの方がよっぽど恐い、恐い、恐い、私は、ああ恐い。

 恐怖は、命に迫る危機を検出、評価するための、いっとう大切な感情。
 命が下す、合理的な判定を受けて。
 働きすぎに「ノー」と言うのは、老若にかかわらず、健全でも。
 さっそく、もれなく「貧窮、やむなし」「貧窮するのは勝手だが、公的負担金はきっちり払え!」の恐怖に襲われては、命に立つ瀬がなくなる。
 不届ききわまりない、ナマケモノの行き着くところ、ならいざ知らず。
 そういうやからに、身近でお目にかかったことがない。

 私自身は、子もろとも、全身全霊をかたむけて、やっと生きのびた。
 サバイバルの間じゅう、公的負担金に苦しめられたが。
「主権在民、基本的人権の尊重、平和主義」を掲げる国の公民らしく――大部分の年月は「看板倒れ」を疑いもせずに。
 一貫して、誠実であろうとした。
 これに対して、今、公からの報いは。
 老いぼれにも分け隔てなく。
「れっきとした法律」を、銃口のように突き付けてくれること。
 ここは、バイオレンス映画の世界。
「両手を上げて、そこにひざまずけ!」
「死にたくなければ、有り金を出せ!」
 おかげさま、まだ、死線上を生きている。
 天下無敵、援軍、バッチリ。
 とは言い難い、ふたりきり、力を合わせて奮闘、健闘してきた。
 私ら母子が堕ちて、はい上がれない地獄は、たったひとつ。
「官製貧困」という名の地獄。

⑥ ネット発、たまさか耳目をかすめた、小さな死をふたつ。
 夫のDVから逃れるべく、生活保護を申請した若い人が、すげなく追い返された後、撲殺された。
 録音記録に、窓口で、自分を「人間のクズ」呼ばわりする音声が残る。
 子どもに「こんな私で、ごめんなさい」と言わせる「狡猾な虐待」
 これを真似た受け答えは、どうやら、公の常套手段、らしい。
 先年と先々年、私も同様の被害に遭った。
 六十代の心さえ、数時間は、血を噴き上げた。
「わざわい、転じて福」年の功に、ますます磨きがかかったけれども。
 五十代なら、そうはいかなかった。
 じゅうぶんにあり得る話で、想像するに難くない。
 絶え間ない家庭内暴力が刻む、心の生キズに、役人は塩をすりこんだ。
 しかし、「PTSDを発症していた」正式な診断書でも存在しない限り、白日の下にはさらされない。
 申請に同行した母親は、この件を裁判に訴えた、というが。
 公の主張は「申請の意思が認められなかった」罪も恥も、知らぬが仏。

⑦ この暴虐をのさばらせるのは、日本社会に横溢する、思い込みか信念。
「非の打ちどころがない人間でなければ、助けるには値しない」
「若い日のあやまちなどは、もってのほか」
「強い立場にある人は、絶対に正しい」等々。
 かように思考する、硬直した心の持ち主のために。
 日本人にはおなじみの地獄が実在してほしい、と思う日がある。
「自分と同じく、その人も、安心、安全のなかで生きたい・生きたかった」と学ぶために、地獄堕ちが必要な人は少なくない。
 閻魔庁の大王さまは、地獄耳と浄玻璃の鏡をお持ちだ。
 うわべばかり良い人、などのごまかしは通用しない。
 もうひとつの小さな死は、一行にまとめられる。
 七月下旬、八十代女性が、工場のプレス機にはさまれて、死亡。

⑧ 長く貧困層を生きた末に、底辺層を体感している、ケガの功名。
 日本社会のいかがわしさ、すなわち危うさを。
 はっきり、すっきり見通せる。 
 大きく生き損じてなお、「生きよう」と「する・した」人間を。
 公的負担金を負わせる以外は「存在しない」前提で、営まれる社会。
「SOS」を受信しても、口先ばかりの対応に終始する社会。
 それどころか、即断即決「自己責任」「不運」――恫喝か無関心をもって、死地へと追いつめる社会。
 あきらかに、命の棄損を。
 市役所や福祉関係など、公的機関の最前線がルーティンワークとして率先垂範する、戦慄の社会。
 穏当に言い換えれば、成員「全員」の生存には、ふさわしくない社会。
 全面肯定、容認、見て見ぬふり、まして称賛するのは、哀れな自傷行為。
 放置すれば、まちがいなく天井知らずに凶暴、凶悪化していく社会を。
 次世代に譲り渡して、「受け取り拒否」を認めないのは。
 許されざる、未来への他害行為。
 こう結論することに、迷いは、みじんもない。

(四)働けなくなる時は死ぬ時

 AERA(朝日新聞出版)2024年4月22日(No.19)
「基本報酬マイナスの衝撃 訪問介護の終わりの始まり」より。
《高齢者の「命綱」ともいえる訪問介護。4月、経営の基盤となる基本報酬が減額となった。まさかの引き下げに、現場や識者から不安や怒りの声》   
 そこで、東京大学名誉教授、上野千鶴子先生は、おっしゃる。
《介護保険制度の24年間は、「改悪に次ぐ改悪の黒歴史」です》
 でも、もっと悪いことがある。
 介護保険料に、致命的なほど生活費を侵食されながら。
 働く限り命を保てる私が、制度を利用できる望みはきっぱり「ゼロ」
「働けなくなる時は死ぬ時」
「働きに行けなくなったら、死期を待たずに、命を絶つ必要がある」
 こんな覚悟を、年々歳々、私に迫るのは。
 日本の三権と日本社会、日本人、トータルのあり方。

(五)ハラキリでなく「安楽死」

「死にたい」思いに憑かれたのは、十三歳。
 PTSDのなれの果ての希死念慮と、カンペキ、スッキリ、オサラバできたのは、六十三歳の終わりころ。
 ちょうど、noteに投稿を始めた時期。
 以来、二年弱「生きたい!」と思いながら、生きてきた。
 奇跡! あまりのうれしさに、叫びたくなる。
「せめてあと十年、イキイキ生きたいよう~~~」だが、しかし。
 皮肉にも社会保障制度に、しばしば首を絞められて(うううううッ)冷や汗、脂汗にまみれるたび。
「あっさり、ラクラクあの世に行かせてくれえ~~~」という気分になる。
 例の、お若い学者の暴言(ま、聞き流してやるさ)ハラキリでなく「安楽死」だったら、多少のなぐさめになったかな。
 くそナマイキなチビ助め、勉強が足りねーぞ。
 あら、ごめんあそばせ。

(六)老いに流れる時

(でも、さ)生きるのが、苦しい、のは、貧しい老人だけ?
 脳内にわだかまる、自問を解くために。
 起きてほしくなかったなかでも、とくに起きてほしくなかった、ふたつの交通事故を取り上げます。
 ひとつは、覚えている、そもそも知っている、人がいるかどうか。
 夜早い時間の小さなニュースの後、続報を目にしなかった死亡事故で、警察は「七十代、パート従業員の女を逮捕」
 私には、胸にズシンとこたえる報道でした。
 もっぱら通勤のために、四十余年ずっと、照る日、曇る日、どしゃぶり、豪雪にもめげず、車を走らせてきました、が。
 この五年間、視力と反射神経は、右肩下がりに衰えるばかり。
 よくうろたえ、よくよく落ち込む一方で。
「ああ、そうか。これが、老いに流れる時間」
 しみじみ「こうして老い、死に向かう」のが感じられて。
 案外、悪い気がしません。
 それは、子どもの成長期にも似て――親の背を越した。親よりサイズの大きな靴をはくようになった……いつの間に?
 知らぬ間、変化はかくじつに訪れます。
 子どもは、勢いと速さを増していく。
 老いた人は、万事がゆるやか、ゆっくりになっていく。

(七)老いることが許されない社会

 巷間、取り沙汰されるのは「八十代の親に、どうやって運転免許証を返納させ、運転をあきらめさせるか」問題。
 我が家はずいぶんちがいます。
 持ち主に負けず劣らず、くたびれた軽自動車。
 昨夏、オシャカになりかけたが(一年限定?)復活してくれた、三十年近く苦楽をともにする愛車――今は昔、大声で泣けるのは、車内だけだった。
 それを子の通勤用にゆずって、九か月が経ちました。
 自分は〈いまどき、めずらしい〉会社の送迎バスを利用。
 自宅と乗降場所の間は、寒暑のなかをテクテク歩きます。
 昨日の朝はどしゃぶり。
 離婚直後に左の聴覚を失っている、こともあって。
 狭い裏道、後ろから近づく大型の普通車に気づきませんでした。クラクションの連打に心臓が飛び跳ね、あたふた傘と身を縮めました。
 中年手前、無表情の女性が、運転席にひとり。
 ウチの四十三歳は、用事があっても体調が思わしくない時と薄暮の時間帯以降、つまりたいてい、助手席に乗せてくれるのですがねえ。
 ストンと甘えながら、時々ハンドルを握って、天翔けるように走り回らなければならなかった、昔日をしばし追想すれば、それでじゅうぶん。
 でも、職場への行き帰りと生活の用に欠かせなければ。
 運転自体が仕事なら、なおさらもって。
「諸機能の衰え」「体調不良」は、言い訳でしかありません。
 重大事故でも起こさない限り、現役ドライバーから退けない、現実のなせるわざです。
 そこで挙げたいもうひとつは、東京・池袋の横断歩道を渡っていた若いおかあさんと幼い子が亡くなって、たくさん報道された事故。
 加害者は「悠々自適の老後を送っていた」と思われる……たしか八十代も半ばすぎの、高齢者でした。
 なぜなのか、私がたどり着いた、とりあえずの答え。
 貧困層と富裕層を問わず、日本は。
 老いることが許されない社会、だから。

(八)長命に与った人間、最後の仕事

 まるで、未成熟のススメ。
 老いを隠さずに済むのは、まさか、要介護状態になった時、ですかね。
 そんな悲惨な人生のゴールへ駆り立てられる、中年、若者、子どもたちの身にもなって下さい。
 老人の〈見てくれはともかく〉心が、未熟なまま死を迎えるならば。
 前へならう子どもの心には、成熟の途が拓かれません。
 私にとって「老いを受け容れるとは?」
 お迎えが来るまでの刻々を、無力、無気力、無為といろいろな痛み、不都合、軽くない過去に耐えながら。
 虚勢や見栄を張って、労働、またはカネのかかるヒマつぶしに。
 あるいは、避けられない運命としての通院に。
 明け暮れること、とはちがいます。
「残された生気を燃やして、ニセモノでない大人になっていくこと。
 長い年月、自分の出来不出来、自分の損得、自分の幸不幸、自分の係累……自分事でいっぱいだったアタマを解き放って。
 他者、社会、世界、生存環境の未来へも、羽ばたかせていくこと。
 もって、後を追う者が生きて、死ぬ、ナイスな手がかりを残すこと」
 それが、長命に与った人間、最後の仕事。
 ほんの少し前から、私は、そう、おのれに任じるようになりました。

(九)ホンモノの、ステキな日々

 死にゆく日、までの仕事をまっとうするべく、たとえば。
 イキイキ、ぴかぴか(とても七十歳には見えません)ボディで、ダンスを踊って魅せる、空中ブランコに挑戦する。
 生涯最後の恋に、ほほをそめる。
 特養やデイサービスから、せいいっぱいのエールを贈る。
 どれも(ステキ)本質的にはちがいません。
 介護労働講習を受講した、六十歳。
 一週間ばかり、施設実習をさせてもらった私は。
 いいトシしてうろうろ、オロオロ、ジャマにしかなれないタマゴでした。
 しかし、二十、三十年長の人たちは、ひとりならず。
 認知症、からだが不自由、女、男、かつての職業……ハンディや属性に関係なく、空気のように慈しむことで、陰に日なたに援護してくれました。
 あれから五年……私は、みんなのこと、死ぬまで忘れません。
 いつか、最初から最後まで物語れるといいな。
 短くも、これこそホンモノの、ステキな日々。

(十)力強く愛された、鮮烈な記憶

 俺たち(年寄り)に明日はない、かもしれないので。
 ひとつだけ。
「生まれて初めてのハイタッチ」
 飽きっぽい、理屈っぽい、ワガママ、神経質、仏頂面で可愛げのない、ぶきっちょ、グズ(と母は言う)私なんかと。
 ハイタッチしてくれたのは、センテナリアンの女性。
 午後、カラオケ大会の後、仮眠タイムの前のこと。
 ふたチームに分かれてやる、輪投げゲームの時間――イヤなら「瀬戸内寂聴先生のビデオ法話」コースもある。
 車イスに乗ったままでもできる、単純なゲームながら。
 参加者と職員が一体となってエキサイトする……なかに。
 やけに、やる気満々なばあちゃん。
 朝、お茶を配り終えて所在なく突っ立っていると、自分の横に座らせ、両手で私の手を包みながら、じっと黙って……見つめられるこっちは(え、え、何?)ドギマギ。
 ごく小柄な、静かなたたずまいがうそのような、ファイト……場所を移動するにも、歩行器や介助が要りません。
 彼女がみごと得点した瞬間、思わず「やったね!」手と手をバーン。
 その時は、まさかの年齢を知りませんでした。
「先週、百歳になった人がいるんだけど、誰だと思う?」
 指導を引き受けてくれた年下の介護職員に尋ねられて「あの人!」
 私が迷わず指したのは、そのデイサービスでただひとり、寝椅子のような車イスにぐったり横たわって、食事も口元に運んでもらう人。
「ブッ、ブ、ブーッ(ハズレ)あの人は、八十二歳」
 そこは、ふしぎの世界でもありました。
 それは、力強く愛された、鮮烈な記憶――暴力にやられっ放しの人生をいたわり、なぐさめて、まだおつりが来る思い出です。
 思い返すたび、あたたかい涙。
 だから……介護職になり損ねた後、今日まで、死なずにいられました。

結 僕の前に道はない

(一)僕の前に道はない

「未来を拓くソルの物語」は「物語りたいことを、すっかり物語れば、それで気が済む」類ではありません。
 社会の明日と未来に、名実とも安全、安心な方向への「軌道修正」
 社会の土壌である社会性には、成員全員の生存にふさわしい「成熟」
 ふたつのススメと現実化を、はっきりと目しています。
 どのようにして?
 この物語が錐の先となって開ける小さな風穴に、後から後、健全な公論が形成されること、を通してです。
 ラングールの群れとちがって、人間社会は。
 勇敢な老婆ひとりが幼い命をひとつ救えば事足りるほど、自然なつくりになっていません。
 さらに、歴史は教えてくれます。
「天上天下、絶対」の正論や正義に魅了された群衆が威力をもって「危機的状況をひっくり返す」アプローチは、有害無益で大失敗のモト。
「人智とアイディア」――「試行錯誤と創意工夫」
「ユーモアと寛容」――「柔軟性と根気」
「協力し合うためにこそする、丁々発止の議論」に満ちた公論
は。
 必ずや、生存にふさわしい未来を拓いていく。
 と、私は目論んでいるのですが。
 タマにキズは、前例が乏しいこと。
 本のなかやネット上、有名無名の卓見に(おおッ!)いくら感動しても、それぞれバラバラ、風の前の塵に同じ、です……もったいない。
命に根ざす」物語や言論同士が、リレーションを始めたら。
 未来はきっと明るむ
……のに、なあ。
 というわけで、高村光太郎「詩」の出番。
「僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る」
 私が習ったのは国語の授業、中学生だったから、うろ覚え。
 さあ、率直なご意見、ご感想は?

(二)昭和レトロ方式

 私にわずかでもSNS「力」があれば。
 さっそく交流を図って、公論形成のタネをまく、くらいできそうなもの。
 二十一世紀のいまどき、その方面は「真っ暗」
 それ以前に、ハイ、ネットオンチです。
 noteは例外。
 としても、昭和レトロ方式でやってます。
 私が幼稚園生だった大昔、全世帯が固定電話を持つのは、夢のまた夢。
 国民の六割が多機能のモバイル電話を操る未来は、おとぎ話ですらなく。
 電話を引くことのできた他家(近所)の番号を、何か書類の連絡先として、当たり前に記入したものです――電話がかかってくると、その家の人が小走りで呼びに来てくれる。
 ちょうどそんな感じ。
 私は、我が家で一台きり、ネットに接続された子のPC、ラズベリー色のラズちゃんを寸借しながら、投稿。
 子にとっては商売道具、借用できる時間は限られています。
 おまけにラズちゃん、メールの送受信が得意じゃないの?
 専門店に賭け込んだところ、原因は「機種が古すぎるから」
 で、五分もかからない診断に、お代はトホホ、三千八百円なり。
 子が購入したのは「わずか」十年前、と思うのは「非常識」ですか。
「モノを大事にしなさい」しつけは。
 いよいよ、「地球環境のため」でもあるのに?
 私専用のスタンドアローン(オフライン)PCなんか。
 十年よりもっと昔、ロト6で空前絶後の一万三千円が当たった時、ぽっきりの値段で買った、もはや骨董品――しかし、健在。
 そのキーボードに向かうと。
 弱っちい私のペンは、タカかワシかという、爪と翼を得るのです。

(三)「ありがとうございました」

 たくさんの人に「未来を拓くソルの物語」を読んでほしい、切なる願い。 
 つい先日は、ご近所温泉(銭湯)で、七夕のたんざくに託しました。
 読者を増やす「自分らしい」具体的な方法がないか、模索してもいます。
 ところで。
 生まれて初めて「意識した」物語は「アマノジャク」でした。
 三歳ころ。
 教育熱心で情操も重んじる母はよく、絵本をあてがい、付録のソノシート(ペラい、レコード)から流れる朗読に、子守りを任せたのです。
「悪い、悪いアマノジャクは、山の向こうに放り投げられてしまいました」
「とさ……めでたし、めでたし」その瞬間、たしかに私は憤慨しました。
(何がめでたいもんかッ!)で、涙目。
 ふり返って思えば、自分に訪れる未来――アマノジャクの本性を隠さないことには、存在を許されない世界を、予知していた。
 時代遅れの老アマノジャクが、せっせと綴る物語。
 投稿後すぐ贈って下さった「スキ」が、どんなにうれしかったか。
 この場にて、返信します。
 心底からの「ありがとううございました」
(この人になら、ススメてもいい)どなたかに。
 物語の存在を、お知らせ願えませんでしょうか。
 今日は、この辺で。

 

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