未来を拓くソル「新・精神障害の母、発達障害のある?子どもと生きて四十余年」第4話 発達障害の未来をちょっとでもあかるくしたい

 予告のタイトルは「わかりやすい、希望に満ちた物語」でしたが。
(一)家族の物語、ファーストステージ
 母子二人きりの物語は、第2、3話で取り上げた『統合失調症の一族』に負けず劣らず、ざっと三つのパートが入り組んでいます。
 親については「精神障害」の生々流転。
 子については「発達障害?」の生々流転。
 こういう親とそういう子が「どう関わり合ってきたか」の生々流転。
 順を追って、ていねいに物語りたいのは山々。
 でも、私ごとき腕前では「滑って、転んで、大痛県――大分県民のみなさん、ゴメンナサイ。昔々によく飛び交ったダジャレです」になりかねない。
 いっそ「家族の物語、ファーストステージ」は、親として「発達障害のある?子どもにどう対応してきたか」に的を絞りたいと思います。
 それも、生々流転のお話を最小限にして、(わたくし的には)テクニカルな要素を前面に押し出し、「何か手がかりを得たい」人の役に……ま、がんばろう。

(二)石橋をたたいて
 ところで何年か前、我が子が唐突に言いやがった。
 唐突こそはヤツの特性の一。四十余年、よくよくドッキリ、ビックリ、させられてきた。
「おかあさんは、石橋をたたいて、たたいて、たたきこわしてしまうんじゃないの?」
(この時は)ムッ、めんどくさいおのれを棚に上げて、よく言うよ。
 でも……よく見て、よくわかってるなあ……アタシの特性。
 つくづく思う。
「自閉症があると、言われていることがよくわからない」なんて、知らぬが「仏……ならぬ、オニ、アクマ、人デナシ」の嘘っぱち。
 まったくもってプンプン(怒)のプン!
 わかってないのは、どっちだよ?
 お山のてっぺんから発達障害を見下ろして、ドヤ顔するのも、たいがいにしてほしい。
 ほらそこの……アンタが大将!

(三)障害者就労支援施設
 あいにくアタシは、我が子ひとりをネタに、色眼鏡をひけらかしているわけじゃない。
 定年退職後の一時期だが、障害者就労支援施設で働いたことがある。
 半年間の介護労働講習を受けたのがきっかけ。
 そこで山ほどのペーパーと容赦なくキビシイ実技の試験に泣きの涙を流し、施設実習もこなした。入社試験は満点で、面接をクリア後、正規採用の生活支援員として雇われた。
 九割方は心に問題のあるよりどりみどりの「障害者」とステレオタイプの「経営者・管理者」
 どっちがマトモか、アタシには見間違えようもなかった。
 記録によると、二十一歳のEさんは発達障害だが、かばってあげたくなるような可愛らしく弱々しい容姿を裏切る力持ちで、手先も器用……どんな作業にもひるまなかった。
 つい「大丈夫?」声かけすると、決まって「大丈夫です」つぶやくほどの声だが、力強く返してくる。
 我が子に鍛えられてきた私には、ストンとわかった。
 そう、大丈夫ね。
 しかしある時、いつの間にか姿を消していて、作業室のドアが開けっ放しになっていた。
 走り出て見ると、車道の真ん中に立ちすくんでいる。
 引き金になるような異変は、作業室のどこにもなかった……と思う。
 わけはわからなかったが……うん、彼女の内部で起きてるコトだな。
 パニックそのものの体で、か細く、絞り出すように言う。
「近寄ラナイデ……下サイ」
「でもさ、ね、そこ危ないから、こっち、ここ、ここなら安全だから、ここまで来て」
 少し逡巡したが、ちゃんと来てくれた。
 こういうところだけ見守れば、Eさんは、自己申告通り、大丈夫な人。
 アブナイ人もいた。

(四)軽口と長ったらしい脱線
 五十代女性のKについて、入社後に探り当てた事実。
 一緒に働く我が子ほど若い男性に、しつこい難癖「声が大きすぎる」「態度がデカイ」「イライラさせられる」をつけ通して、しまいに刃物を振り回させ、精神科への緊急入院を余儀なくさせた。
 ついでに、私の前任者を退職に追い込んだ。
 記録にリストカットの履歴しかないのも道理。
 私には「自己愛性――診断がひときわ難しく、治療にまったくなじまない――人格障害の疑いが濃厚」と見えた。
 自分の母親がまさしくコレだったから、すぐにピンときた。
 職員をしのぐ早出をして、人一倍忙しそうに働き、社交的でもあるが……「誇示してやまない有能さ」から「どこかオカシイ?」ところを差し引くと、「作業環境と人間関係を引っかき回しして、ぶち壊すために通ってきている」みたい。
 思い余って、進言した。「Kさんには、就労支援とは別の支援が必要ではありませんか」平たく言うと「ここを辞めていただくべきでは?」
 管理者は、経営者が許さないからダメだという。
 あ、そ……なら、アタシが辞めるワ。
 ほかにもいっぱい――県庁からやって来て、ねつ造まがいの指導をする査察官、社会福祉協議会や医療機関との有名無実な連携エトセトラ。
 就労支援の実態はどれもこれも、いいとこ見かけだおしで、ひょっとしなくても、欺まんだらけ。
 それが、ハンディに潰されまいとしている、それぞれに果敢な人たちを、いっそう圧迫しているようで、耐えられなかった。
 サヨナラした日、Eさんは、真心こもった声ではっきり言ってくれた。
 そうそう、左耳の聴覚を失って久しい私にも、明瞭に聞き取れた。
「一緒に働けて、本当によかった!」
 ワオ……かつて、これほど簡潔、率直に人から認められたことがあったかな……ジーン。
 Kからさんざんわめかれて、パックリ開いた心のキズが、たちまちふさがった。
「あなたなんか何も仕事をしていないくせに、どうして私たちに命令できるんですかッ!」
――命令なんかシテマセン、お知らせ・お願い・提案してるダケデス。
「あなたと働くのがイヤだから、早退するんですッ!」
――ゴメンナサイ、アタシガココニ居テ、ホントニゴメンナサイ。
 そう、次の犠牲者……精神科送りにされそうだったのは、アタシ。
 アタシのママ……そっくりだから、本当はKが恐ろしかった……が。
 たぶんEさんのおかげで、なつかしい思い出だけが、今もあざやかによみがえる。
 統合失調症のS君とIQが低い(って、ホント?)O君は、同じ年頃で二十歳そこそこ。二人とも自分の家族と一緒に住めない複雑な事情を抱えていたが、底抜けにピュア。ピチピチ、イキイキ、才気と可能性にあふれていて、まぶしかった。
 うつ病のAさんは、早くに両親を亡くし、中卒以来ひとりぼっちで働いてきた四十代の独身男性。新参者の私に作業を手ほどきしてくれた。この人ほど行き届いて、同時に寡黙、まぎれもなく有能な、シブイ魅力にあふれた先輩社員や上司を、ほかに知らない。
「今日はクスリの効きが悪くて」苦しそうな日もあったが、「そろそろ一般就労に戻りたい」と言っていた。じきコロナ禍になってしまったから……うまくいっただろうか。
 同じくうつ病のTさんは、保育所に通う女の子のおかあさん。まだ三十代だが苦労人で、飛び抜けてあかるく、がんばりやさん。芯が強く、何より誰より優しかった。
 率直に話してくれた。
 クスリはもう飲まない。喫煙を止められないが、電子タバコに替えた。お酒を飲みながら、夕食のしたくをする。
 心の回復途上にある自分を、せいいっぱいホールドしようとしていた。
 職場としては最低最悪でも、アタシは死ぬまで忘れない……みんなに出会えて、短い間だったけど、一緒に過ごせて、サイコーに幸せだった。
 神サマ、どうか、みんなも幸せでありますように。
 おっとっと、何でこんな話になったかな……ばあちゃんだから、許されたし。
 いやいや、軽口と長ったらしい脱線は、若い時分からアタシの悪い癖。

(五)発達障害の未来をちょっとでもあかるくしたい
 キリキリ、巻き戻しましょう。
 私が第4話でやりたかったのは、得意技かやっぱり悪癖の「石橋たたき」にほかなりません。
「親による発達障害対応」に的を絞っても、四十余年は重厚長大。
 本編に先立って、まず「こういう親」がどんなニンゲンか、ざっくりスケッチします。
 次いで、「未来を拓くソル」オリジナルの視点をPRします。
 二つ目をあらかじめファストサイズにまとめれば、だいたいこんな具合。
「発達障害に関する情報はほかにもいっぱい」
「そこにわざわざ一個、情報ではなく……レトロな物語を付け加えてね、発達障害の未来をちょっとでもあかるくしたいのさ、アタシは」
 さっそく、「こういう親」の素描から。
 と思ったが、すでに長丁場。

(六)次回予告と付録
 第5話は、「ドクターショッピングのなれのはて」というところから――タイトル未定――話し始めます。
 来週水曜日、ぜひまたお会いしましょう。
 ついガツガツ、ゴテゴテしゃべってしまうの、私の悪い癖。
 発達障害対応についてのネタをひとつ、付録にさせて下さい。
 それ以前も、すったもんだしていたのですが、子が小学二年の夏から秋にかけて、とうとう「お手上げ、バンザイ」状態に、はまってしまいました。
 どうして脱出できたか……運が良かった。
 近所のショッピングセンターへ買い物に行った時、文房具店に毛の生えたような本屋さんの棚にあった本のタイトルと、ぐうぜん「目が合った」
 としか、いいようがありません。
 本は、私が我が子と、我が子が私と、気の置けないコミュニケーションを図ることのできるツール、でしたから。
 その本を、親子して夢中で読むうち、いつ冬が来て、年が明け、春になったのか。
 後から思うと私は、「どうしたらいいか、ぜんぜんわからない」身を引き千切るような悩み、苦しみを、きれいさっぱり忘れていたんです。
 我が子の問題も……ぜんぜん問題じゃなくなっていた。
 それって、どういうこと?
 つまずいて、動けなくなっていたが、元気が戻ってきたから、今日がある……その一部始終を、いつか物語りたいと願いつつ。
 親子に奇跡をもたらした本を紹介するのに留めて。当時、エンピツで傍線を引っぱった中から、断片的な引用もさせてもらいます。
 児童書ですが、大人が読んでも、十二分にイケル、とアタシは思う。
『モモ』時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語
 ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 岩波書店 一九七六年第一刷
――読んだのは一九八八年の第三九刷で、まさしく同年、私はまだ二九歳。
《やみにきらめくおまえの光、
 どこからくるのか、わたしは知らない。
 ちかいとも見え、とおいとも見える、
 おまえの名をわたしは知らない。
 たとえおまえがなんであれ、
 ひかれ、ひかれ、小さな星よ!(アイルランドの子どもの歌より)》
《「まあ、おまえはいったいだれなの? あたしのところに来てくれたことだけでも、とってもうれしいわ、カメさん。で、あたしになんの用なの?」
「ツイテオイデ」》
《「ねえ、カメさん。」とモモはききました。「いったいどこにあたしをつれて行くの?」
「シンパイムヨウ」》
《モモは、ここではカメがまえよりもっとゆっくり歩いているのに、じぶんたちがすごく早くまえに進むのにびっくりしました。》
《「いいか、宇宙には、あるとくべつな瞬間があるものだ。」と、マイスター・ホラは説明しました。「それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回しか起こりえないようなやり方で、たがいに働き合うような瞬間のことだ。そういうときには、あとにもさきにもありえないような事態が起こることになるんだよ。だがざんねんながら、人間はたいていその瞬間を利用することを知らない。だから星の時間は気がつかれないままに過ぎ去ってしまうことが多いのだ。けれどもし気がつく人がだれかいれば、そういうときには世の中に大きなことが起こるのだ。」》
《「ねえ、おしえて。」と、とうとうモモはききました。「時間て、いったいなんなの?」》
《時間はある――それはいずれにしろたしかだわ。》 

 


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