レースを愛する者たちの祈りの物語 鉄の女・イクノディクタス


(これはウマ娘におけるイクノディクタスの育成ストーリーに顔面が真っ赤になるまでボロクソに泣いた人間が書いた育成ストーリー感想記事です。ストーリーに言及するにあたり、関連するウマ娘(特にケイエスミラクル)の育成ストーリーのネタバレがあります。また、過去から現在までの故障馬や騎手についての記述がありますのでご注意ください。)

史実のイクノディクタス

イクノディクタス。鉄の女と呼ばれた牝馬。
生涯戦績は51戦9勝。1989年7月23日、当時の馬齢(現在より+1)で表記して3歳の夏にデビューした彼女は、1993年11月14日に4年間に渡る現役生活の幕を降ろした(なお、引退戦となった富士ステークスの勝馬はマチカネタンホイザであった)。
1年はおおよそ52週である。彼女は約220週で51戦をしており、平均して実に4週間に1度は出走をしていることとなる。実際には数ヶ月の休養を挟んだこともあったが、それは最長でも1991年9月の朝日杯チャレンジカップの後、翌年2月の関門橋ステークスまでの約4ヶ月半となっている。現代の重賞馬の物差しで言えば、秋シーズンの出走がないことこそ少々珍しくはあるがさして長い休養でもない。
なお旧表記の7歳、現在における8歳といえば2024年3月現在では現役の白毛馬であるハヤヤッコがちょうど8歳であり、彼は38戦している。その彼の約1.5倍の頻度で、イクノディクタスは走ったことになる。

彼女の戦績は9勝と言いつつ、G1出走回数は勝ちこそなかったものの実に11回。当時の牝馬三冠を皆勤、6歳の秋にはマイル以上の芝G1の4戦に出走、7歳の春は当時G2の産経大阪杯を走り、天皇賞春、安田記念、宝塚記念と距離を問わずG1戦線を走り続けた。この7歳春に至っては安田記念と宝塚記念の連闘でありながらそれぞれヤマニンゼファー、メジロマックイーンという錚々たる牡馬の2着につけるという凄まじい成績を残している(なお、このとき前年スプリンターズSにてヤマニンゼファーを下したニシノフラワーも同2レースに出走しているが、いずれも着外であった)。

そしてこの戦績にあって、イクノディクタスは一度も故障を経験しなかった。それこそが、彼女を鉄の女たらしめる最大の長所である。
とはいっても、彼女は子供の頃から丈夫なわけではなかった。
ウマ娘においては2023年のイベントでも触れられているが、彼女はデビュー前に足に疾患(※)を発症し、デビューさえ危ぶまれていた。
※屈腱炎と言われているが、当時の検査方法が触診のみによるものだったため、その後の競走成績から腱鞘炎だったのではないかとも言われている(屈腱炎は運動負荷により発生すると考えられており、競走馬である以上は再発率が高いため)。

ウマ娘としてのイクノディクタス

ここからはウマ娘の話をメインとするが、この幼少期の経験こそが彼女を鉄の女たらしめている、というのがイクノディクタスの根幹となる設定である。自身の不自由な足の代わりに用いていた自転車という相棒、そして自分自身の身体は適切なメンテナンスを行い、常に適切な管理をすること――、すなわち『メンテナンス』と『マネジメント』を行うことにより心身を救われた彼女は、この手法が正しいと証明し、ひいてはすべてのウマ娘の心身の健康に貢献するために誰よりも長く走り、誰よりも多くの勝利を重ねることを目標に掲げた。そしてその理念に心底から共感したのが、イクノディクタスのトレーナーである。

2023年4月末に開催されたイベント『神算鬼謀!?春祭!熱闘鬼ドッジ』より。イクノディクタスが自己管理にこだわる理由。

イクノディクタスの物語は、言ってしまえば大きな山や谷は存在しない。そもそも彼女の目標が大レースを勝つことではなく、あくまでレースを走り続けることなのだ。だが、もちろんそれでイクノディクタスの育成ストーリーが終わるわけもない。

イクノディクタスの同期たち

イクノディクタスは1987年生まれだ。そして同年に生まれた競走馬といえば、まずはウマ娘において寮の同室であり天皇賞春の連覇を成し遂げたメジロマックイーン。その同門のメジロライアンにメジロパーマー。マイルで覇を競ったダイタクヘリオスにダイイチルビー。そして、ダービー馬アイネスフウジン。
詳しいファンならお気づきだと思うが、怪我や故障を連想させるメンバーが少なくない。史実では、メジロマックイーンは華々しい史上初の天皇賞春連覇後に骨折、翌年にも屈腱炎を発症しその年の大目標としていた天皇賞秋への出走は叶わず引退となった。オークスを共に走ったダイイチルビーはフレグレモーネにより三冠目のエリザベス女王杯への出走は叶わず、その後のスプリンターズSでは当馬こそ1着であったものの、1番人気のケイエスミラクルがレース中に故障、そのまま予後不良となる悲劇に見舞われた。そしてアイネスフウジンは、ダービー後に屈腱炎を発症したことであまりにも短い競争生活を終えた。

イクノディクタスのストーリーでは、走り続けることの難しさ、そして彼女が愛する友人たちに焦点が当たる。先に挙げた同期たちの中で、最初に焦点が当たるのがアイネスフウジンだ。
元々、アイネスフウジンの育成ストーリーではダービー後に彼女の私生活にトラブルが起き、現役生活を続けることに迷いが生じるというストーリーだった。彼女のライバルであるメジロライアンのストーリーですら、その退場には触れられない。
(そもそもライアンのストーリーはメジロマックイーンを通したコンプレックスと自分自身への信頼というテーマであり、アイネスとの友情物語に主軸が傾くのを避けたのだとも思われるが。)

すばらしいレースの光と影

アイネスフウジンの故障と引退について、イクノディクタスのストーリーは限りなく史実に即して描かれている。
逃げ切りでの日本ダービー制覇後、まともに歩けないほど疲れ果てていたアイネスフウジン。その様子を、「持てる力の全ての、その先すらも出し尽くした」と形容するトレーナー。
引退が発表されたのはその夏のあと。その話題と前後して、道半ばとなった者たちへの言及が続けられる。

(1989年。桜花賞1着、オークスをクビ差2着という好成績から挑んだ3冠目のエリザベス女王杯で、彼女は故障を発生した。命にこそ別状はなかったが競争能力は喪われ、入線直後の場内は静まり返っていたという。)
(1989年。日本ダービーを勝利した彼はその後の菊花賞にて大敗。後日、そのレース中に故障を発生していたことが明らかになった。復帰を目指したが、それが叶うことはなかった。)
(そして。)

イクノディクタスのストーリーは、「彼女は強靭で運が良いからレースを走り続けられたのです」という内容のものではない。
彼女が連闘を望むたび、レースを走るたび、予期せぬ故障という悪夢がひたりと背後にまとわりつく。

(それでも、メジロライアンの猛追を振り切った彼女のダービーは、すばらしいものだった。)

ここで筆者は、猛烈な不安に襲われた。
史実のイクノディクタスの牝馬三冠競争は、けして好成績とは言えない内容だった。しかし、現在進めているストーリー上ではどうだろうか?
最新の育成シナリオでゲームをしていれば、特殊な対戦相手がいるストーリーでもない限りは大抵のレースでまず負けることはない。桜花賞もオークスも勝利し、クラシック級として、他の誰よりも急成長しているイクノディクタス。そして、身体に負荷がかかると警告される、史実の彼女の時代には存在しなかった秋華賞。
彼女が強すぎることによって、順調すぎたがゆえに、それが、起きてしまうのではないか、と。
他のウマ娘であれば、史実でいつトラブルがあったのかは分かる。でも、彼女は違う。この順調すぎる道の先を、私は何も知らない。そんな恐怖が、ゲーム内のトレーナーの独白とシンクロして湧き上がってくる。

(勝ちましたよね。桜花賞も、オークスも。)
(『競走馬イクノディクタス』が走った三冠目は、11月のエリザベス女王杯だった。)
(このゲームの中で、ここまで怖かったのは初めてかもしれない。)

ウマ娘における故障の扱い

最近になってアプリのウマ娘における故障の扱いが大きく変わっているというのは、多くのファンが感じていることかと思う。
たとえばサイレンススズカの天皇賞秋、ライスシャワーの宝塚記念は故障という描写ではなかった。
しかし、2022年10月。ウマ娘に、高松宮記念を前にして急性心不全でこの世を去ったアストンマーチャンが実装された。ウマ娘において現役生活中に夭逝した競走馬をモデルとするのは前述の2人に続き、彼女で3人目だった。彼女のシナリオでは、高松宮記念での活躍を期待されたその春先の急死が、悲しいほどに纏わりついている。
それでも彼女は、彼女に消えてほしくないというトレーナーの祈りをよすがに、その生を続けていく。そのさまは、まさにウマ娘というコンテンツそのものだと思う。

(忘れない。)

いなくなってほしくなかった、まだ走るところが見たかった、もっと活躍してほしかった。そんな祈りから別世界の生き物へと形を変えて、彼女たちは祈りの先へと進む。この祈りがなければ、きっとどのIFも生まれなかったのだろうと思う。
そしてダイタクヘリオスの育成シナリオをはじめ、舞台ではスプリンターズSにおいて明確に、残酷なまでに克明にケイエスミラクルの故障が描かれた。育成ストーリーにおいても彼女のIFは非常に特殊であり、1991年のスプリンターズSを走ることはそもそも叶わない。

(ダイタクヘリオスのシナリオにおける1991年スプリンターズS。勝者、ダイイチルビー。)
(舞台ウマ娘『Sprinters' Story』の彼女は、暴れるような歩様ののち、足が痛い、内側から砕ける感じがする、と、絞り出すような弱々しい声で独白する。)
(ケイエスミラクル本人の育成ストーリーで、スプリンターズSを回避した彼女は、)

祈りをかたちにするということ

この悲劇について、コンテンツとしてしまっていいのか、という葛藤がある。だが先述の通り、これは悲しい現実に対する祈りだと、私は思う。
元気に走るところをずっと見ていたかった。ずっと健康でいてくれたら。という願い、悲劇の運命をまるきり無かったことにする「もし何も起こらなかったら」「もし異なる運命であったら」のIFから、「その悲劇の運命を乗り越えて」のIFもできるようになったのだ。
ずっと応援していたかった。あなたの血を受け継いだ子供がどう走るのかを見たかった。引退したって応援し続けたかった。ある意味では、無かったことにするよりも、喪った痛みは癒えるのかもしれない。

(祈り。)

イクノディクタスの目的は「誰よりも長く走り、誰よりも多くの勝利を重ねること」だ。そして、彼女の周りには、それが叶わなかった者があまりにも多かった。
だからこそ彼女は決意し、走り続ける。

(祈り。)

競馬において怪我や故障は珍しくない。JRAで行われる競争だけでも、昨年2023年は約40頭がレース中に故障を発生し、予後不良となった。平地でも、障害でも。平場でも、重賞でも。
最高速度が60km以上にもなるレースで、人馬ともに不幸な結果となる事故は、誰にだって起こる。

そして、そんな過酷なレースの先に、イクノディクタスはひとつの成果を得る。
それは物語序盤に登場した管理システムであり、イクノディクタスに感化されたウマ娘たちやトレーナーたち、そして怪我をした同室のメジロマックイーンの、復帰への希望でもある。

(祈り。)

これは、今までのどのストーリーよりも強い、祈りの物語だ。
そしてそれは昨年、非常に多くの競馬ファンが祈ったことではないだろうか。

(祈り。)

ただ、どうか無事にと。
改めて、ただ、祈らせてほしい。


おわりに

つまり去年から最近の競馬関連の悲しいことで落ち込んだ人もそうでない人もいいから全員イクノディクタスの育成ストーリーやってくださいという話です。引いたでしょ。やって。今すぐ。あと感想も書いて。いっぱい。よろしく。


蛇足1

ジョッキーカメラまでネタにしてくると思わんかった

(観客がスマホの画面で何かの映像を見せられている、というシチュエーション。)
(ヘルメットが無いので眼鏡に搭載するというハイテク形式。)
(イクノディクタスはなんでもできる。すごい。かわいい。)



蛇足2

先日の事故まではこんな記事を書こうなどと思いもしませんでした。
ただただ悲しく、そしてショックで、せめてこの祈りを文章として出力したいと思い筆を取った次第です。
故人のご冥福を心よりお祈りいたします。そしてどうか、海外に渡った人馬が、無事に帰ってきてくれますように。

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