見出し画像

  <連載小説> 沈み橋、流れ橋

―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―


第1章(12)


 美津と千鶴は、とても気が合った。性質がまるっきり反対なのが案外その理由だったかもしれない。美津は弟と妹の一人ずついる長女だけれども、世間知らずののんびり屋。人前に出たりするのは苦手で、家の中のことをする方が好きだった。何事もゆっくりだが手先は器用で、きれい好きで、洗濯や、掃除や裁縫といった地道な家事を好んでした。
 一方の千鶴の社交性は、商売で身についたというわけではない。人懐っこさと楽天的なのは根っからだし、千鶴がそこにいるだけで、周りに輪ができてガヤガヤ騒がしくなる。面白いことを言って人を笑わすのもうまかった。
 もともと住んでいるところが近いので、駒蔵が偶然にも繋いでくれた縁をきっかけに、会えば挨拶以上の立ち話になり、お互いに気のおけない友達のような存在になっていった。年は美津の方が一つ上だが、いろんな相談事に乗ってもらう時には、千鶴を姉のように頼った。年頃の娘の相談事の最大のものは、今も昔も恋の話と決まっている。姉貴分の千鶴には、最初に会った時から、すでに美津が駒蔵の思い人であることはわかっていたから、あるとき単刀直入に尋ねた。
「ほんでお美津さんの方は、駒蔵さんが好きなん?」
 曽根崎新地の団子屋でお茶をすすっている時だったので、びっくりした美津はお茶を吹きこぼしそうになった。それでもそんな時でさえ美津は素直に、「へ」と短く答えて、頬を赤らめた。やっぱり嘘のつけへん人なんやわ、と、千鶴は自分の見立てが間違っていなかったことを嬉しく思った。
 そして千鶴も嘘が嫌いだから、駒蔵とのなりゆきを全部話した。
「そんであんさんと駒蔵さんとは、もう、みょうとなん?」
 浄瑠璃にも出てくる「夫婦事みょうとごと」というのは、いわゆる男女の行為を指す。そのとき千鶴は、駒蔵より美津のことを第一に考えていた。美津がそんなに好きなんやったら、わてが身を引いたらええだけのことや、と思った。「……へ」
 またしても、いつもの答えだった。
「あらら。どこで?」
「連れてってくれはるんだす。あてはよお知りまへんけど、待合、とか、そういうとこでっしゃろか」
 千鶴はいつになく滑らかな物言いの美津をじっと見つめ、やがて笑いこけた。美津もそれを見てようやく、自分の言葉とも思えない大胆さに気づいたようで、また顔を真っ赤にした。二人はそれから、駒蔵を肴に恋の話をしあった。女たちがそうやって友情を育んでいる一方で、駒蔵は二人のことを交互に思い出しては心がふらついてばかりだった。
 佐助には、
「お美津さんとはええようにいってますのんか。もうはよ、祝言あげておくなはれ」
 と毎日のように突き上げられるが、千鶴のことを思うと、身を固めるのはもうちょっと先にして、まだしばらくあっちへふらふら、こっちへふらふらしとってもええやろか、という気持ちが湧き上がってくる。
 佐助は、千鶴とのこともお見通しだった。
「京縫の女将だっか。そんな別れられへんのだしたら、お妾ゆう手もあるんだっせ」
 とまで言われた駒蔵は、「妾」という言葉に腹を立てて、珍しく佐助に悪態をついた。
 しばらくして、女たちの間では新たな展開があった。
「お美津さん、ややこができたんとちやう?」
 美津のつるんとした綺麗な顔に、最近吹き出物が目立つし、息をするのも苦しそうに見える時があったから、気になっていた千鶴は尋ねた。
「やっぱりそうでっしゃろか? あれ、、が来んねんわ」
「そらそやわ。……ややこできたんやったら、籍入れなはれ」
「へ?」
「駒蔵さんにゆうて、籍入れてもらい」
「そうなったら、お千鶴さんはどないしはるん?」
 美津の眉が八の字に歪んで、途端に悲しそうな顔になる。
「さあ、どないもこないも。善は急げや。今から行こ」
 千鶴が急かして、二人一緒に駒蔵に報告に行った。おお、そうかそうかと喜ぶ駒蔵に、すかさず千鶴は入籍を勧めたのである。こうして、駒蔵と美津の婚礼の支度がにわかに進み始めた。

 といっても婚礼は、堅苦しい形式に則ったものではなく、実際に二人の仲を取り持ったのは佐助ということもあり、オセワニンという仲人を立てることもしなかった。奉公人(正栄社の社員)たちにとっては、正月が二度来たかのような祝いの席が、三日三晩続くことになった。駒蔵も美津も、千鶴を宴に呼びたいと思ったが、佐助に止められた。「京縫」からは、祝いの酒が届いた。
 先に子供のできた美津が、駒蔵の戸籍上の妻になりはしたが、三人の男女の関係がそれによって大きく変わることもなかった。駒蔵は相変わらず、あっちへふらふら、こっちへふらふら、だったからである。美津は、実家の履物屋から十町ほど離れた駒蔵の住まいに移ってはきたけれど。

 明治二十三(1890)年、美津は男の子を産んだ。旧「近江屋」第十二代当主となる第一子を、駒蔵は信太郎のぶたろうと名付けた。生まれた時から端正な顔立ちの子であったが、病気がちだった。「女難じょなんの相がある」と、駒蔵の茶屋仲間の大旦那が口にしたという話は、ずっと後になって美津の耳に入った。
 その翌年、美津は続けて次男、誠次郎せいじろうを産んだ。くっきりとした眉が父親にそっくりや、とその子を見た誰もが言った。駒蔵は、長男よりもどこか自分に近い存在に感じた。
 そして同じ年、今度は千鶴の方に子ができた。
(つづく・次回の掲載は4月1日の予定です)

* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?