奢り奢られ論争に対する所感

私は今までこの論争をあほらしい、自分の分は自分で出せば良いと思っていた。

社会人だから稼いでいるし、自分が男なら、初対面で今後も縁があるかどうかわからない人に奢るなんて嫌だ。貴重な時間を使っているのは男も女も一緒だ。


そう思っていたから、世間の風潮で初回は奢らなければならない男性に同情していた。

そしてお金を出させてしまう状況が多いから、お会いする時には今後縁があってもそうでなくても楽しくあってほしいと考え、常に笑顔で会話を盛り上げることを心がけていた。


しかし、少し考えが変わった。

先日、ネットで知り合った8歳上の男性と初めて食事へ行ってきた。
相手は「先生」と呼ばれるような職種である。

相手は仕事終わりだったし、きっと疲れているだろう。
いつもと同様に相手に感謝しつつ、最大限相手に気持ち良く喋ってもらおう、楽しい時間を過ごそうと、色々と話したし聞いた。
相手の方は途中から食べることを忘れ、夢中で話し続けていた。

1時間半ほど経った所でそろそろ行きましょうか、という話になった。

私は会計のタイミングになると、男性に向かって「いくらお渡しすればいいでしょうか」と聞くことにしている。
奢りならありがたく奢られるし、◯円でいいよ、ならその額を出す。半額でも同様である。

今回そう聞いた時、返事がなかった。
無視に少し動揺しつつも、2人で3900円程度だったため、2,000円をトレーの上に置いた。

相手にとって自分は魅力的に見えなかったのだろうし、今後には続かないのだろう。
こんな日もある。そう思いその時はあまり何も思わなかった。

しかし別れ際、「今日は大変楽しかったです。また会ってもらえますか?」と言われ、疑問符が頭に浮かぶ。

8個も歳上で、これくらいの金額も奢ろうとしない(それどころか無視)し、こちらの話を全く聞こうともしないで、一人で楽しく捲し立てただけなのにまた会いたいの?

それをして、異性から好意的に見られると思っているのだろうか?

そう感じた時初めて、自分が奢られることを自覚していたよりも好意を測る尺度として意識していたことが分かった。

女が男によく見られたいがために化粧したり、普段着ないようなフェミニンな服を選び頑張って着飾ることと、
男が女によく見られたいがために食事代を出すのは近いものがあるのではないか。

またもしも自分が男だったら、自分なら今後関係を構築したい女性だったら見栄を張って奢ったり多めに出す。

歳の離れた年下、金額もそこまで高くないなら尚更奢るだろう。

いわば、奢ることは、今後に繋げるための投資的な意味合いを持つのだと感じた。

態度が悪い相手、今後関係を継続したいと思わない相手なら奢らない。
また、奢られるのが当たり前だと思うような人には奢りたくないというのもある。

だから気持ちばかりではあるが、食事の後に場所を移して喫茶店などでお茶をする際には、私が支払うようにしている。


自分がこんな些細なことで
もやっとすることに少し驚いた。

もちろん、他人と考え方が違うのは当たり前だし、モヤッとしてる時点で相手と縁はないのだろう。

寛容でなかった自分に少し落ち込むとともに、
男性には、関係性を継続したい女性がいるなら、最初だけでも見栄を張って奢ることをお勧めしたい。

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