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自分をまるごと愛してやれよぉ

会社の解散から3ヶ月。

私は、この3ヶ月を振り返ると必ず、
あー、ぐだぐだ だったなーって。
一旦思う。一旦ね。


で、そのあと
いやいや毎日頑張ってたよ!
と自分で自分をフォローする。


失業してから、毎日。
確かに出勤していた時に比べたら、そりゃぐだぐだしてるよ。

だいたい座ってることが多いし。
スマホばっかりいじってるし。
運動不足で腰痛くなってるし。

でも、ライティングや動画編集の勉強したり、仕事探したり。淡々とコツコツとやってきているよね、私!

いつも、がんばっていることに目を向けないで、ダメな自分ばかり見ちゃってる自分がいる。


それで気づいた。

私って「いつも何かしらがんばってないとダメ」って強く思ってるわ。
しかもかなり根が深い。
そしてそれは、自分自身に対してだけじゃないよね。

「家のこと何にもしないで座ってテレビばっかりみて!」
これは母に対して毎日思うこと。

「スマホばっかりいじって、勉強もしないで!」
これは子供たちに対して毎日思うこと。

…あれ?
これって自分の嫌いな部分そのものじゃない?

「周りにいる人は自分自身の鏡だ」
なんてよく言うけど、

「いやいや!ないない!私のほうがあの人よりがんばってるし!」
「私を見習って君たちもがんばりなさいよ」
ぐらい思っちゃってる。いつも。

やなやつだねぇ~ww(;^ω^)

しかし、まじで鏡だったわーww


確かに何かに向かってがんばってる人ってキラキラして見えるし、
自分もそうありたいと思う。

でもちょっと待てよ。

例えば、周りから「がんばってる評価される人」がいるとする。
でもその本人が「いや別にがんばってない」って思っているとしたら、

それはがんばってないということだよね?

逆に、周りからいつも「がんばってない評価される人」が、
「自分はめっちゃがんばってる!」って思っていたとしたら?

それはがんばってるってことだよね?

だから自分のものさしで、誰かの「がんばってる」を測ることはできないってことだなぁ。


1年くらい前、中2の娘が一時的に不登校だったことを思い出す。
理由は決定的なものはなかったが、とにかくもう学校には
行きたくないと。

今思えば、娘は自分自身を守ることをがんばっていたのかな。
まあ、それも本人にしか分からないことか。


私はこの文章を書きながら、自分自身に言い聞かせている。

がんばってない自分や
がんばってない(ように見える)誰かも許してやれよぉ

いいも悪いも全部ひっくるめて自分なんだからよぉ
まるごと愛してやれよぉ

と。

不思議と心のままを文章にすると、なんていうか、いい気分。

これからも自分をありのままに表現していこうと思った
くじらくじでした。







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