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名古屋+周辺の楽しみ方(歴史/文化を満喫):豪華絢爛!名古屋城復元本丸御殿 (愛知)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに:御殿と言えば?】

数年前の夏休み(遅めの夏休みだったので、9月)、静岡(掛川・浜松)彦根長浜名古屋(犬山岐阜も)を回る旅を企画し、それぞれお邪魔させて頂きました(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)今回は、その中で参らせて頂きました、名古屋市にある名古屋城の復元された本丸御殿を紹介させて頂きます

お城の御殿と言うと、真っ先に思い出されるのが、現存御殿日本には、江戸時代から現存する御殿が4つあると言われています。高知城・本丸御殿二条城・二の丸御殿掛川城の御殿、そして川越城・本丸御殿です。それぞれ別の記事にてご紹介させて頂いておりますので、ご参照頂ければ幸いです。

その現存御殿とは違いますが、本日ご紹介するのは「名古屋城に復元された本丸御殿」現存御殿は、歴史もあるので、威厳とか風格とかそういった雰囲気が先に来るのですが、こちらの名古屋城の本丸御殿は、復元されたばかりなので、正に豪華絢爛。熊本地震前に、熊本城の御殿も拝見させて頂き、同様の事を思いましたが(別記事で写真を紹介しています)、こちらの豪華さは、更なる豪華さです。以下、写真と共に紹介致します。

現存4御殿高知城二条城掛川城川越城

高知城
掛川城
二条城
川越城

【名古屋城の本丸御殿とは?】

そもそも名古屋城の本丸御殿を、Wikipedia の力を借り、基本情報を記載しますと、以下の様にあります。

”(略) 本丸御殿は二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と評価されていた (略) 本丸御殿障壁画は1942年に当時の国宝保存法に基づき国宝(旧国宝)に指定された (略) 太平洋戦争時は空襲から金鯱を守るために地上へ下ろしたり、障壁画を疎開させるなどしていたが、1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲で、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失した。(略) 2018年(平成30年)5月7日 - 工事に先立ち天守閣の入場を禁止する。6月8日 - 復元された本丸御殿の一般公開を開始 (略)”

https://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋城

上記引用かなり、抜粋させて頂きましたが、

  1. 二条城と並び評される

  2. 障壁画は国宝に指定されていた

  3. 戦災で焼失

  4. 近年復元が完成し、一般公開が開始された

といった所でしょうか? 私達夫婦がお邪魔させて頂いたのは、一般公開が開始された正にその年。多くの方が、いらっしゃり内部では、「すごいねー」、「立派だねー」の声が途切れる事なく聞こえていました。私達夫婦も、その豪華絢爛さに圧倒されたのを記憶しています。

名古屋城・本丸御殿 玄関
名古屋城・本丸御殿 装飾①
名古屋城・本丸御殿 装飾②

【名古屋城本丸御殿の内部】

内部は、室内には入る事はできませんで、廊下を順路に沿って進んでいく感じでした。また内部の撮影OKなので、沢山の写真を撮らせて頂きました(フラッシュは禁止ですが!)。まず玄関から入りますが、唐破風の屋根に装飾された気品と美しさを感じる物です。

表書院は、折上格天井金の豪華な襖絵の描かれた部屋で、正式に藩主に謁見する際に利用された部屋の様です。一方対面所は、もう少し私的な場面で利用された部屋の為と言う事か、襖絵がもう少し穏やかな色彩とモチーフなっているように見えます。また、折上格天井になっており、漆で塗られた黒光りした様な天井も素晴らしいのですが、一段上がった部屋(恐らく藩主の場所?)の天井は、二重の折上格天井で更に演出している所も、日本人らしさを感じるポイントでした。

表書院
対面所①
対面所②
襖絵①
襖絵②
襖絵③

そして、上洛殿。こちらは将軍が、京都に上洛する際に利用された部屋との事ですが、二条城を紹介したページでも記載したように、徳川幕府で、京都に上洛したのは、家康・秀忠・家光・家茂・慶喜だけで、正に江戸の始まりと終わりのタイミングだけ。しかも慶喜は、上洛したというより、京都で将軍になり、大政奉還を行って、鳥羽伏見の最中に、開陽丸で、館長の榎本武明(函館五稜郭は別記事で紹介中)になの断りもなく、江戸(浜離宮から上陸したとも…)にもどていますので、名古屋城を利用しているはずがありません。Wikipediaには、以下の様に記載があります。

”城主(藩主)が居住する御殿であったが、1620年(元和6年)将軍上洛時の御成専用とすることになり、改造された。以後、藩主は二之丸御殿に居住した。本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、上洛の途中に宿泊している

https://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋城

つまり名古屋城も、将軍が利用したのは、家康の後の秀忠・家光、慶喜の前の家茂ですので、二条城同様「江戸じゃないのに江戸の始まりと終わりだけに縁があったお城」と言う事の様です。上洛殿を拝見すると、折上格天井に絢爛豪華な欄間。襖は少し落ち着きを感じさせてくれますが、芸術性の高いもの。もし私が、「この部屋に泊まっていいよ!」と言われたら、落ち着行けず、一睡もできない感じがしてしまうくらいの部屋です。他にも、見所はありましたが、この3つのお部屋は、訪れた際は、天井も含めご覧に頂ければ幸いと思った次第です。

名古屋城本丸御殿 上洛殿①
名古屋城本丸御殿 上洛殿②
名古屋城本丸御殿 上洛殿③

【最後に】

実際に名古屋城の本丸御殿に訪れてみて思ったのは、二条城の二の丸御殿と同じく、豪華絢爛で、格式の高さを感じさせてくれる空間である事、間違えないと思います(同じ徳川家が作った御殿なので、当然と言えば当然ですが・・・)。

ただ、作られてからの「物理的時代感(時間の長さ)」が違うので「二条城は歴史と風格をより感じる雰囲気」がありますが、「名古屋城の本丸御殿は、豪華絢爛さが先に来る雰囲気の空間」といった印象を持ちました。言い換えれば、今、公開間もないタイミングなので、最も豪華絢爛さを感じる事の出来るタイミングと言う事だと思います。

後数十年後、改めてこちらの本丸御殿を訪れてみて、その雰囲気の違いを感じる事が出来たらいいなと思うと同時に、今見られるこの豪華絢爛さを皆様にも、味わって頂きたいと思いました。

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!


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