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秩父?の楽しみ方:紅葉と近代日本の歴史を振返る大人散策スポット、秩父御嶽神社 (埼玉・飯能)


こちらの投稿は、「大人散策辞典 ”wiki stroll” ~tomoaki blog~」の "Original の記事" を基本同じ内容で、記載している記事になります。Original の記事では、より多くの写真も含め記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。


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【はじめに:秩父御嶽神社の基本情報】

皆様は、秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)(http://www.togo-koen.jp)をご存じでしょうか? 秩父御嶽神社と ”秩父” の文字が入りますが、秩父市ではありません。また、秩父郡と言う横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村でもありませんで、飯能市にあります。そんな秩父御嶽神社の大人散策情報をご紹介します。

恐らく、ある一定数の方は「飯能市にあるのに ”秩父” の文字が入るのは、おかしいのでは?」と思われたと思います。しかし、『創建当時この場所は、秩父郡に属していたようですので、現在の秩父地方から見て、峠(正丸峠)を越えた場所ではありますが、「秩父」を名乗る資格がある』と言う理解でいいのでないかと思った次第です

秩父御嶽神社の御朱印
秩父御嶽神社の説明看板
東郷神社の説明文

この辺りの情報整理も含め、Wikipediaの力を借り、「秩父御嶽神社」を調べてみますと、以下の様にあります。

”(略) 1894年(明治27年)、秩父郡坂石村芳延(現:飯能市坂石)の百姓庄吉の長男であった鴨下清八(かもした せいはち、文久元年6月5日(1861年7月12日) - 昭和30年(1955年)12月8日)が創建した。清八は久保新衛門、井上頼圀に師事し、国学を修めた。17歳のとき、母が危篤となり、薬、医術も効かず神を頼り御嶽教信徒となって修行、そして母の平癒を見た。清八は神徳を深く信じ、福寿山を開き秩父御嶽神社を祭祀した。

また清八は、日露戦争後の1925年(大正14年)、東郷平八郎元帥の精神を普及させようと銅像の建立を発案し募金を行った。また何度も東郷元帥の自宅を訪れ銅像建立の許可を求めたが、東郷元帥は未だかつてどこにも自身の銅像の建立を許しておらず、この嘆願に取り合おうとしなかった。そこで清八は、東郷元帥と親交のある陸軍予備役中将堀内文次郎を通して東郷元帥を説得。こうしてついに東郷平八郎元帥の銅像が完成、1927年(大正14年)4月17日除幕式には、東郷元帥をはじめ、堀内中将、粕谷義三衆議院議長、海軍大臣代理、小笠原長生海軍中将が参列した。日中戦争が始まると戦勝を祈願したが、1945年(昭和20年)7月神託により、時の内閣総理大臣鈴木貫太郎に建白書を呈し、無条件降伏を勧告した(略)”

https://ja.wikipedia.org/wiki/秩父御嶽神社

明治の中頃の創建と言う事ですので、比較的新しい神社の様です。また、秩父御嶽神社に隣接する形で、「神苑」の位置づけで、東郷公園があり、そこには、あの日露戦争における日本海海戦で、バルチック艦隊を「東郷ターン(丁字戦法と言うか否かは、意見が分かれる様です)」で破った時の指揮官として有名な、東郷平八郎の銅像や、その同じタイミングで、陸軍で指揮を取り、203高地の攻略を行った、乃木希典の銅像もあります

戦争を美化するつもりも、肯定するつもりも毛頭ありませんが、日本のその時代に、日本の為に戦った人達の像がそこにある事は事実で、日本が歩んできた道を考えさせられる場所だと思った次第です

”丁字戦法(ていじせんぽう)もしくは、丁字作戦(ていじさくせん)とは、砲艦同士の海戦術の一つで、敵艦隊の進行方向をさえぎるような形で自軍の艦隊を配し、全火力を敵艦隊の先頭艦に集中できるようにして敵艦隊の各個撃破を図る戦術をいう” (Wikipedia より)

https://ja.wikipedia.org/wiki/丁字戦法
境内にある多くの社殿①
境内にある多くの社殿②
境内にある多くの社殿③

【秩父御嶽神社の散策情報】

上記の通りの背景を持つ秩父御嶽神社ですが、モミジが有名です。私達夫婦も、モミジの紅葉を見るべく、何度かお伺いしていますが、中々タイミングが合いません。今回メインでご紹介する写真は、ある年の11月3日に、モミジの紅葉を期待しつつ参ったのですが、写真の通り、色づき始めの綺麗なモミジを拝見出来ましたが、見頃の紅葉にはまだ程遠い感じでした。(今回ご紹介する写真は、見頃から少し前のタイミング=11月3日と、まずまずのタイミングで撮影できた=11月24日の物です)

吾野駅前
吾野駅への帰り道①
吾野駅への帰り道②

この日は、川越から電車に乗り、川越線・八高線(乗入れ)で、東飯能まで行き、そこで西武秩父線に乗り換え、吾野駅で下車。徒歩で、秩父御嶽神社に向かいました。行きは、舗装された高麗川沿い(別記事で下流の郷愁を誘う橋を紹介しています)を進み、20分程度で秩父御嶽神社入口に到着したと記憶しております。そして、秩父御嶽神社の散策はここからが本番になります。理由は、かなりの急斜面を、それなりの距離、登って行く必要があるからです。地図で見ると、大した距離はなさそうに見えますが、実際に行って、秩父御嶽神社の本殿まで行くのは、それなりの体力が必要だと思います。神社を入ってすぐ右手に大きな赤い下駄(オブジェ)があり、一歩一歩踏みしめて登る」ともありますので、ゆっくり焦らず、公園+境内を散策される事をおすすめします。

参道の様子①
参道の様子②
参道の様子③

私達夫婦が、散策させて頂いた大まかなコースは、

  1. 秩父御嶽神社を創設された 鴨下清八氏の銅像

  2. 乃木大将の銅像

  3. 砲弾と布設水雷

  4. 東郷元帥の銅像

  5. 東郷神社(その他の多くの社殿も巡りつつ)

  6. 秩父御嶽神社本殿

と言った感じです。途中、日露戦争に関連する展示物を拝見させて頂きながら、また秩父御嶽神社からの戻りは、いくつかの境内社を回らせて頂きながら、急斜面を気を付けつつ、下山してきました。緑豊かな、公園・境内は、厳かな雰囲気で、それなりの体力が必要ですが、それが故に秩父御嶽神社の本殿まで到達できた時は、達成感もあり、大人散策には持って来いの空間です(参拝にかかった総時間は、約1.5時間程度だったと思います)

参道の様子④
鴨下清八氏の像
乃木大将の像
東郷元帥の像
東郷元帥の像の周囲

少し苦労をしながら、日本の歴史を考えつつ、厳かな雰囲気の中、今度は出来れば綺麗に紅葉したモミジを拝見させて頂きたいと思いつつ、この日の参拝は終了しました。皆様にも、同様の感覚を味わって頂きたいと思っておりますが、何度も申し上げます…。かなりの急斜面で、秩父御嶽神社の本殿から登ってきた階段を見ると、恐怖を感じるくらいの長さと斜面ですので、実際に参拝される際は、歩きやすい靴で参拝される事を強くおすすめします。

日露戦争に関連する展示物①
日露戦争に関連する展示物②
日露戦争に関連する展示物③
日露戦争に関連する展示物④
日露戦争に関連する展示物⑤
日露戦争に関連する展示物⑥
日露戦争に関連する展示物⑦
本殿への急で長いな階段
本殿の様子
本殿の説明看板

【最後に】

秩父御嶽神社を参拝させて頂いた後、今度は来た道とは違い、西武秩父線の西側(飯能→秩父を向いた時、左側)の山道を徒歩で、吾野駅に戻りました(こちらは山道と言っても、そんなにきつくない山道です)。この道も、気持ちの良い散策路で、気分良く駅まで戻り、電車で、西武秩父駅を目指しました。次の目的地は、本ブログ別記事で紹介しました、秩父の大人レストランピノキオです。こちらで、予約していたランチを頂き、この日のメインのスケジュールは、終了致しました。それなりの運動の後の食事だったこともあるのか、関係ないのか分かりませんが、この日のお食事も大変満足できるものでした。

ピノキオ①
ピノキオ②
ピノキオ③
秩父神社

その後、秩父三社の1つ秩父神社等、秩父の中心地を散策し、西武秩父駅に戻り、帰りは特急で、所沢まで戻り、ここで西武新宿線に乗り換え、本川越に戻りました。つまり、

川越駅→秩父御嶽神社→秩父:イタリアン・ピノキオ秩父中心地の散策→所沢経由で本川越駅」

が、この日のコースだった訳です。

1日のコースとしては、充実しているコースだと思いますし、都内からでも、西武池袋線を利用すれば、川越からのアクセスと大きな違いはないと思いますので、皆様も機会があれば、是非お試しください!


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記事を読んで頂き、ありがとうございます 皆様にお役立ちできる記事の作成、努力して参ります!