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霧の宴 ミラノ Ⅱ          アンドレア


 古代ローマ時代、優雅なトーがを纏ったローマ人達からBarbari=野蛮人と呼ばれていた粗末な毛皮で身を包み動物の脂で頭髪を固めた粗野なゲルマン人を先祖にもつL.van ベートーヴェンの血の中に、一片の花びらの気まぐれな変容のような単音の透明な美しさに魅せられるという感性があっただろうか?勿論、この巨匠にその感性がない筈はないが、彼の伎(ARTE)が和声や作曲法の技を駆使した音の壮大な建築に至ってゆくのを見る時、もはや、
<生(き)の純粋な美>の人的表現としての音楽というよりは、その伎(ARTE)は人間としての己の内面を意図的に表出させるための、文学的な表現の一要素として変貌していったように思えてくる。
 音楽史上、古典からゲルマン的ロマンティシズムへの橋掛かりとしてL.van ベートーベンは位置づけられているが、それは、彼自身の個人的な内面の苦悩から生み出される表現(esprimere)が、複雑化した和声と作曲上の構成を必要としたことに由来する。
彼自身の内面の表出或いは表現(espressione)とは、美しく整えられた端正なロゴス(アポロン的美)古典から、より私的な感性の表出パトス(ディオニソス的美)へ傾いて行く微かな幼芽であったようである。
 やがてR.ワグナーに至り、ゲルマン的ロマンティシズムは頂点に達し、もはや音楽は全く文学的な表現の一要素としての媒介機能となり、ライトモティーフに託された人間の深層意識の起伏は、それまでの音楽の限界を打ち破り、あからさまにその内臓をさらけ出して見せたのである。
 ともかく、マリアムはL.van ベートーヴェンのピアノソナタ<Patetique 悲愴 Op.13>を譜面台に広げた。そして意を決して、この巨匠の音楽への愛憎の念に挑むように深く息を吐いた。
 W.A.モツアルトを前にする時、常に彼の絶対的に自由な魂を感ずるのだが、それは自由たらんと意識しているのではなく、彼自身があらゆることから、或いは自身の存在からも束縛されないまったく自然な<Cosi sia  あるがまま>として現われるのを感ずる。それは非の打ちどころのない<静>の領域である。
 一方L.van ベートーヴェンにおける自由の精神とは、己の内部に押し込められ、自らその罠に落ち込んでゆくようである。彼のラㇷ゚トゥスが周囲の人々には破壊的に見えたのも実は、「それはそうでなければならぬ」とまで己を納得させなければならなかった自虐的な束縛の修羅場であったのではなかろうか?
ド ミノーレで作曲されたOp.13の一楽章は、真にド ミノーレの持つ独特な陰鬱な暗さを必要としている。それは、W.A.モツアルトのピアノ ソナタ
K310の一楽章がラ ミノーレで書かれているのと興味深い対象をなしている。W.A.モツアルトがラ ミノーレという透明な<哀しみ>の中で、一陣の風のように走り去ってゆくのに対して、L.van ベートーヴェンは、ド ミノーレの澱んだ闇の中で苦悩し、のたうちまわっているかのようである。
 音楽における調子は作曲上最も基本的な要素の一つである、とマリアムは友人の作曲家から教わった。調子にはそれぞれの彩と個性がありEsprimere 
するための最適なエレメンツとして選ばなければならない、ということであった。
「画家と絵具の色調バランスの関係に似ていますね」と、マリアムが言うと「まあ、そんなところかな」と作曲家は言った。
 G.ロッシーニの<セヴィリアの理髪師>を演出するにあたって、C.スタニスラフスキーが、第一幕で歌われる若いアルマヴィ―ヴァ伯爵のセレナータ
「Se il mio nome saper、、、、」は、何故G.ロッシーニがラ ミノーレで書いたのかを論じたのを読んだことがあったが、友人の作曲家の話を聞きながら、今更ながらC.スタニスラフスキーの音楽に対する造詣の深さに驚愕した。
 マリアムは決してピアノが上手いわけではない。未熟な彼女のテクニックでは<悲愴>の第一楽章はなかなか難しいのだが、対決を挑んだからには、
<月光>の第三楽章に挑んだ時と同じように時間をかけて辛抱強く弾き込んでいかなければならない。理詰めのような転調とその展開が彼女を息苦しくさせるのだが、それは過去に音楽に本腰を入れて勉強しなかった罰であると
マリアムは自嘲した。
 W.A.モツアルトの転調と云えば、マリアムにとって常に気違いじみていて奇想天外な発展を繰り広げるように感じられるのだが、そのあまりの自然さに、うかうかと彼の技にのせられてしまう。それは、彼の書簡の中にもしばしば見受けられ、常人の心理の起伏からは想像し難い唐突な変調の連続なのである。しかし、そこに記されている支離滅裂としか思えない下卑な駄洒落や無駄話から少し距離を置いてみると、なにやら奇妙に調和のとれた、彼の音楽のように透明で優しいW.A.モツアルトが浮き上がって来るようである。
彼の透明な、時には崇高とさえ感じられる音楽と対照をなす低俗な書簡に、
過去のW.A.モツアルト研究者の多くは戸惑い、その考察は納得できる結論を生み出すことはなかった。常人の常識や理論の物差しで推し測ることのできない音楽史上唯一の天才が、実は発達障害者ではなかったか、という近年の論説に、マリアムは最も的確な結論を得たと思った。
つまり、アマデウスには人間の尺度は通用しないのである。
 

J.ブラームスもマリアムは好きだ。
内面的な、と一般的にはその音楽は評されているが、望まんとする感情を満たされないその生き方が、彼の音楽を或る色調として性格づけているとすれば、L.van ベートーヴェンは、流血を見てまでも強引に解決を己に欲し表出させるという点において、外向的と言えるのではないか?
一方J.ブラームスの憧れは、彼の心の奥深く静かに閉ざされ表出することはなかったが、L.van ベートーヴェンのそれもまた、搾りだされ解決するかのように見えるが、その傷口は再び閉ざされ肉を痛めているようである。
<悲愴>の単調から長調への転調を弾きながら、治癒することのない作曲家の心の闇をマリアムは苦悩した。
 ある朝、目覚めた時からマリアムの頭の中に、<悲愴>の第二楽章の穏やかなテーマが鳴り続けていた。何故なのかわからないまま午前中を過ごしたが、午後になってピアノの前に座ったとたんに、昨夜アンドレアが夢に現れたのを思い出した。彼は譜面を覗き込みながら彼女の肩に手を置き、二楽章を弾いて欲しいと云った。
          つづく





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