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レクイエム

 夏が来れば思い出す…
 思い出すのは、水芭蕉の花ではなく、海辺の景色でもない。
 それは、仏間にくゆる線香の煙であり、開け放たれた縁側の向こうに溢れる夏の日差しであり、何よりも座卓を挟んで対座する二人の女性の姿である。

 まだ私が年端も行かぬ頃、毎年8月が来るとこの光景に出会ってきた。
 母に連れられて、この二人の女性にお茶を出すというのが、母と私の努めだったから…
 一人は私の祖母、もうひとりは祖母と同じ年頃の女性である。

 なぜこうも鮮明に覚えているかというと、来客だというのに、あまりにも静かだったからである。
 全く会話がないのだ。ただ、うつむいて向き合って座る二人の姿。目を見交わすことすらない。奇妙な静寂がそこにあった。
 そして、小一時間もたった頃、客は深々と頭を下げて帰っていくのである。
 その後数年間この光景は続き、ある年からパタっとこの女性は訪ねてこなくなった。

 中学生になった頃、私は母に尋ねたことがある。
 あの女性は一体どんな人なのかと…
 最初、母は言いにくそうに口ごもり、しばらくしてポツリポツリと話し始めた。
 あなたももう子供ではないし、話しておいてもいいかもしれないねと前置きをして…

 あの女性は、亡くなった伯父と同期の方の母親だということだった。

 私の伯父は特攻隊員だった。

 一度も会ったことのない伯父は、セピア色の遺影の人である。
 墓誌に刻まれた享年は18歳。

 母の話によれば、その日伯父は、体調不良で出撃できなかった隊員の代わりに、出撃していったらしい。
 毎年夏になると訪ねてきていた女性は、この出撃できなかった隊員の母親だということだった。
 その後、日本は敗戦し、彼は無事生還した。

 訪ねてくるたびに、彼の母親であるその女性は、祖母の前に土下座し、息子が生きて帰ってきて、本当に申し訳ないと涙ながらに謝っていたらしい。
 それを目撃した母は、よほどショックだったのだろう、その場で涙が止まらなかったと語った。
 戦後15年ほどの間、毎年お盆の頃になると彼女は線香を上げにやってきていた。
 そしてある年、祖母は彼女に、もう来ないでくれと言ったらしい。
 それ以来、彼女が訪ねてくることはなく、8月のあの光景を見ることはなくなった。

 祖母は朝になると仏壇の前に座るのが日課だった。そして、ブツブツと何事かを呟き、私はてっきり経文を唱えているものだと思い、そっと聞き耳を立てた。
 祖母は「許さない、絶対に許さない…」と延々と繰り返していたのだ。
 私は背中が冷えるような怖さを感じ、それと同時に底なしの悲しみを感じた。
 そのことを母に話すと、もうずっとそうなのだと教えてくれた。きっと、心のどこかが壊れてしまったのかもしれないね… そっとしておこうね…と…

 私の母もまた、遺影の伯父しか知らない。
 戦後結婚し、私を産んだ母は、戦時中の話をあまり聞いたことがないと言っていた。祖父母はその頃の話をすることをひどく嫌い、父もその兄弟たちも口にすることがなかったと…
 おそらく、母が私に話してくれたことが、母の知っているすべてだったのだろう。

 一度だけ父に尋ねたことがある。お兄さんはどんな人だったのかと…。
 父は、兄弟思いの優しい兄さんだったと、それだけを教えてくれた。
 そして、南の海に散っていったと、そんな言い方をした。

  今年は戦後78年、祖父母も、父母も、この世を去った。
 当時を知る人はだれもいない。
 唯一、私のおぼろげな記憶の中に、霞んで存在するだけである。

 伯父がどんな人で、どんな人生を送ったのか、今や知るすべもないのだが、毎年8月のお盆の頃になると、必ず思い出すのだ。
 あの頃感じた奇妙な違和感と、モヤモヤしたやりきれない思いとともに…

 対座する二人の女性、息子をなくした母親と、息子の生還を申し訳なく思う母親…
 生きて帰ったことを申し訳なく思う母を、見ていた息子がいたはずだ。
 決して語られることのなかった、その頃の二人の女性の心情、それぞれの家族の姿。

 考えて何かが解るわけでもなく、何かが変わるわけでもないのに、考えてしまう割り切れなさ。
 きっとこれからも、私は毎年思い出しては考え続けるのだろう。
 ただ、訪ねてきていた女性やその家族が、心穏やかに日々を送られていますようにと、願うばかりである。

 未だ世界に紛争は絶えず、兵器は格段に性能を上げ続ける中で、今日も どこかで人が死に、残された家族や友人たちは悲しむ。
 心の傷は癒えることなく、ずっと影を落とし続けるのだ。

 間もなく又8月がやってくる。
 テレビでは戦後何年という特番が組まれ、一時その話題で盛り上がるのかもしれない。
 ある夏、そんな番組を見ながら、ふとつぶやいた年配女性の言葉が頭から離れない。機銃掃射の中、逃げ惑った経験を持つ彼女はこういう。

「戦争は嫌ねぇ……だって、人が死ぬもの…」

 これは体感であり、これこそが戦争の本質にほかならない。

 この言葉の前には、どのような理屈も砕け散る…
 そんな気がする。


(写真はみんなのフォトギャラリーよりお借りしました。
 Milletさん、素敵な写真をありがとうございます。)
 

 



 
 


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