【映画】52ヘルツのクジラたち

先に謝っておく。
noteを始めてから某推しのことしか書いていなかったので、きっとお気に入り登録してくれた人とか「すき」をつけてくれた人は、こいつは自軍のことを書く人だと思われているかもしれない。
まじでごめんだわ。すまん。
旅行ブログがメインなんだわ。
全然行けてないから推しのことを思うがままに書いただけなんだわ。

じゃあ、旅行のこと書くのかって言ったらもちろんタイトルの通り映画だ。
ダブルですまん。
メインは旅行で、サブは映画、暇つぶしに推しのことをつらつら書いている。
そんな自由なやつなんだ。だが、私が雪男たちを好きなことは本当。それはまじ。揺るぎないガチ。

とりあえず、今日はずっと気になっていた『52ヘルツのクジラたち』をみてきた。
小説を読んでとてつもなく衝撃を受けた。
正確に言うと衝撃というほどの刺激があったわけではない。
とてもジワジワと確実に心を締め付け、ただ、締め付けた分、優しく解き放たれたときに自分自身のことを考えるきっかけになる。

もう映画が公開されて数日経過しているが、なぜこのタイミングになってしまったのかというと、原作が良すぎて、実写化のキャストが腑に落ちていなかった。
え、杉咲花?志尊淳?
なんかもっとキナコは、本人が意図せずに人を惹きつけてしまう魅力的な女性だと思っていたし、アンさんはもうちょっと大人な人だと思っていた。
ちゃんと映像に入り込めるかな、集中して見れるかな、そんなことが気になって観ることができなかった。

結果として、やっぱり「原作」がとても良かった。
これは、映画よりも小説!とか、実写化してほしくなかったとかではない。
原作がとてつもなく良かったので、実写化されてもストーリーが成り立ったように思えたから。
実際、文字で語られるストーリーを映像にするには語り切れなかったり、思いを含ませたシーンができてしまう。
小説を読んでいると、実写化はまるで小説の中の『扉絵』かのようにみることができる。
あぁ、あのシーンはこういう表現だったのか。映像になるとこうなるのか。
この場面でこの人はこういう思いを抱えていたな。この人は確か少し前の時に登場していて、こういう関りをしていたからこのシーンに活きてくるんだな。
純粋に、小説もあらすじも読まずに本作を見るような猛者がいるとしたら、ちょっと感想を聞いてみたいが、たぶん表面でしか理解できないんだろう。
でも、それも悪いことではないし、それでも十分に衝撃的なシーンが多い。
ただ、流れるような情報に理解が追い付かないだろう。
もったいない。
実にもったいない。

だけど難しいのが、本作を観たに「より知るためには原作を読んだ方が良いよ!」と勧められるかどうか。
勧められるか、どうか。
いや、勧められないと思う。
なぜなら大筋は映画を観てくれれば分かるから。
逆に言うともうすでにネタはバレている。
映画以上の衝撃はない。
ただ、ただただ、しみじみとアンさんへの思いが溢れることになると思う。
アンさん良い人や。
自分の人生にもアンさんのような人がいてほしかったと思うが、果たして私はキナコ以上にアンさんを大事にできるだろうか。
全てを知っていたらできてただろう。
でも、人生において相手の生い立ち、思い、傷を本人の口から以外で知ることはできないし、本作の登場人物たちは自分たちの口から語ることはない。

ちょうど原作が発売されてからいい感じに時が経ってからの実写化だったので、ほどよく内容を忘れていたのも良かった。
「アン・・・さん・・・?何か、何かあったはずだ・・・この人には何か・・・!」
そう思いながら見たアンさんの件は胸をえぐられた後の余韻がひどかった。
そして、アンさんのことを忘れていた自分を悔いた。
なぜ、あんなに大事な人のことを私は忘れてしまっていたのか。

そして、主税。
主税を見たときにもざわざわした。
「こいつ・・・こいつ、なんかあったな。確か・・・クズ」
そう、思い出せないなりにクズだということは覚えていた。
宮沢あ。
なんか映画ではほどよいクズに仕上がっていたが、確か原作ではもっと工場の話はぐずぐずしていた気がする。
お前、二股だったか・・・?

あと、西野七瀬。
あの子はクズな女を演じさせたらピカ一なんか。
神に認められしクズ女なんか。
(大奥のお品を許せない勢)
確か琴美の話ももっと原作には書かれていた気がする。
あれだけかわいくて、クズだと逆にさっぱりしていていいよね(何が)。
嫌な役ができる人ほど演技の幅が広がるよね、うん。
琴美のことはほんと1発殴らせてほしい。
いや、ひっかきもプラスさせてほしい。
許せない。

恐らく、原作ファンもそうでない人も、映画を観た人ならきっと必ずこう思っているはずだ。
52ヘルツでなくクジラの音源をくれ。
私だって、悲しくて、寂しくて、死んでしまうほどではないけどそのぐらいに孤独を感じる夜がある。
映画を観終わった後にちょっとだけショップでグッズを探したが、その時に「もしかしてサントラ・・・!」と思って探したことは内緒だ。
サントラにクジラの鳴き声が入っているわけがなかろう。
入っていてほしいが入っているわけがなかろう。
なんかどちらかというと「EARTH」とかいうCDがあればきっとそれに入っているだろう。
サバンナのライオン、とかと同じくくりで。


それにしても、志尊淳の顔面良くね?


それにしても、だよほんと。
アンさんのことすっかり忘れていたから、志尊淳の髭が嫌で嫌で受け入れられなかった。
だけど、映画を観ればあの髭すら愛おしくなる。
でも、引っこ抜きたくなる。
志尊淳に髭はだめだ。
だれだ、髭つけたやつ。
あれ自前じゃないだろ絶対。
存在が浮いてんだよ。髭が浮いてんだよ。
俺の志尊淳に何つけてんだよ。

そんな思いが鑑賞後6時間ぐらいたったいま湧き出てくるくらい、映画の本筋に志尊淳の髭は関係ないし、最後には受け入れられているから安心してみてほしい。

52ヘルツのクジラたちを(小説でも映画でも)みると、愛だの恋だの、男だの女だのって何なんだと思わされる。
最初に「魂の番」という言葉をアンさんから聞いた時には『え、やだ、宗教・・・?』と思ってしまったけど、安心してほしい、宗教ではない(当たり前)。
ただ、何か知らんがぞわっとする。
だけど、そう言う他なかった、そう表すしなかったアンさんの気持ちを思うと、ゲロ吐くほど泣ける。

アンさんはなぜキナコの思いに応えてくれないの。
そんなに大事に思って行動してくれるのに。
逆に思いがなければ恐ろしいようなことまでするのに。
アンさんにそんなこと言われたくないよ。
キナコにそんなこと言う資格ないよ。
ってずっと思いながら、キナコと共鳴しながら話が進み、そして、キナコと共に気づき、アンさんの大切さを思い知る。
もっと、アンさんの言葉を聞けばよかった。
もっと話をすればよかった。
もっとそばにいればよかった。
アンさんに対してももっと言葉を尽くせばよかった。

でも、言葉を尽くし、そばにいたとしても、
キナコは男の人として出会ったアンさんに惹かれたのは間違いないし、
主税との男女関係に満たされていたことも間違いない。
だけど、それでも、アンさんのことを知って、理解して、
愛だの恋だの、ましてや男女なんて関係ない関係でいる未来もあったのではないかと考えてしまう。夢見てしまう。
それほどにアンさんは、人生にとても必要な人だった。
キナコを救って、支えて、普通の人生を与えてくれたとても大事な人だった。
何が正解だったんだろう。
どうしたら良かったんだろう。
どこで間違えたんだろう・・・

それを紐解くために、いま、もう一度
『52ヘルツのクジラたち』の1ページを開きたいと思う。

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