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家事をさせない残酷

 大学の同級生が、弟に家事をさせない母親のやり方が嫌いだと話していた。自分は家事を担わなければ罵られる一方で、弟は自分では何もできないくせに命じる側に回ることが許されている。なぜなら、姉である自分は女で、弟は男だから。納得がいかない、と憤っていた。

 日本人男性の家事負担率は非常に低い。おそらく、やらないのではない。
 できないのだ。
 奥さんに言われてやった(つもり)の家事を全否定されれば、プライドは簡単に折れてしまう。沽券をかけて家事を拒否するようになるだろう。なぜなら、やりたくてもできないから。

 家事をこなすには、マルチタスクの遂行とアルゴリズム思考が必須だ。手際よく家事を済ませて生活を回すことは、下手に会社員をやるより難しい。幼少期から、できる範囲を広げるようにして段階的に家事全般を習得できていれば苦労することはないが、ある程度長じてからいきなりやろうとしても、なかなか上手くいかないようである。私の周りにも、大学進学でひとり暮らしになり家事に手こずる人達はたくさんいた。

 家事ができないということは、自力で生きていけないということでもある。収入によっては外注も可能かもしれないが、収入がなくなったらそこまでだし、何より、自分で出来るほうがあらゆる意味で効率的。自分の世話が自分でできなければ、災害時にも困る。子どもならともかく、いい大人がそれでは周りも迷惑だ。

 時代によって、仕事を得るために役立つ知識は変わっていく。多くの場合、これは養育者が与えられるものではない。環境は与えられても、全てを直接教える事はできない。でも、自分の身の回りから病気を遠ざけ健康を保つ術を与える事はできる(養育者本人にその能力があることが前提だが)。
 大人からすれば、子どもに家事を教えるのは面倒臭いだろう。自分でやった方が絶対にはやい。それでも、大人達が手をかけて子どもに家事を手伝わせてきたのは、それを子どもに与えられるのは養育者だけだからではないだろうか。

 男だからという理由で家事をさせず、自分の身の回りの世話をする能力を与えないのは、優遇ではなく冷遇なのかも知れない。

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