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法治国家の犯罪被害者

 犯罪の被害者になる可能性は誰にでもあるが、よく考えてみると、日本には犯罪被害者、とくに殺人事件の被害者のための機関や制度がほとんど見あたらない。

 日本では、逮捕、起訴され実刑が確定すれば刑務所に収容されるが、日本の刑務所は犯罪者の更生を目指す施設だ。つまり、警察も検察も、犯罪者と思しき人を更生させることを目的とした機関であると言える。
 司法は、法によって社会の秩序を守る事を目的にしている。そのために、被害者や被害者遺族の心情を多少は考慮するが、これは報復によって社会の秩序が乱されることを防ぐためだ。被害者側に寄りすぎると、刑が重くなり恐怖による統治を招いてしまう。被害者感情は飽くまで一つの考慮項目に留めなければならない。

 結局、警察、検察、裁判所、刑務所は加害者のために用意されている。

 では、被害者には?
 考え得るのは、損害賠償金の不払いを取り締まる法と、その法を運用し支払いの監督と不払いの取り締まりを行う機関。それから、殺人事件において被害者の死因と凶器を特定する事に特化した独立機関と、死因と凶器の特定に関しては警察に優越する権限がその機関にあることを明記した法、およびその確実な運用。
 どちらも今の日本には存在しない。 

 特に、被害者の死因と凶器を特定する事に特化した独立機関と、死因と凶器の特定に関しては警察に優越する権限がその機関にあることを明記した法が存在しない事は憂慮すべきではないかと思う。これがないと、法治国家の体を成さないのではないだろうか。

 殺人事件において、警察の領域である「犯人と思しき人物の特定」は推論の入る余地があるし、証拠隠滅等によりそうせざるを得ない場合もあるだろう。それに対して、「死因と凶器の特定」は法医学という学問の領域で成される。本来は、互いに干渉しない環境のもとそれぞれの方法で導き出された結論が同じ人物ないし集団を示した事を以て加害者を特定し、裁判を行わなければならない。法による統治は、システムによって秩序と公平性を担保するものなのだから。裁きの場にあっては、導き出された結論は複数の違った視点から妥当性を証明されなければならないだろうと思う。

 ところが日本には、死因と凶器の特定を行う独立機関も、そのための法もない。法医学者の権限は臨床医や警察官に比べて相対的に低いと言わざるを得ない。これは、法治国家として問題であるとともに、犯罪被害者にとってあまりにも過酷で救いがない。

 犯罪被害の損害は本来、何かで購えるものではない。本気でやろうと思ったら、目には目を、である。それをお金で解決するのだから、せめてきちんと払うように強制するべきだ。

 ましてや、失われた命は取り戻すことができない。ならばせめて、犯罪者の特定のためではなく、死者の尊厳ために、何によってどのようにして亡くなったのかを特定するべきだ。と、私は思う。

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