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ハラスメント、あれもこれも。

 最近は実に様々なハラスメントがある。その量の膨大さに、面倒臭いという感想を抱く人もいる。
 確かに、「~ハラスメント」という形で列挙していくと膨大な量になるけれど、全ては結局一言に集約できる。

 人の嫌がること。

 聞いたことがある言い回しだ。
 そう。人間として基本も基本のルールを語るときに使われる。

 人の嫌がることをしてはいけない。

 この基本ができていないことが、問題になっている。
 しかし、やり玉に挙げられている人達は、今までは許されていたのにどうして最近頓に言われるのか、と思うようだ。

 許されていたのではない。諦められていたのだ。言ってもしょうがないし自分の立場を悪くするだけだから我慢しよう、できるだけ関わらないようにしよう、という具合に。不快に思っても、わざわざ指摘したりしなかったというだけだ。

 今、ハラスメントでつるし上げに合っている人達は、少し前なら裸の王様だったのだ。

 だが、それも仕方がない側面はある。相手が何を嫌がるかなんて分からないから、指摘してもらえなければ永遠に気づけないのだ。
 私も、小さな頃に思っていた。他人の嫌がることはするなっていうけど何を嫌がるかなんて分かんないじゃん、と。

 それが、最近は嫌がられる事が社会の共通認識事項になってきた。相手が不快に思う可能性のあることが、「~ハラスメント」という形で提示されていて、相手が不快だと表明できない間柄のうちはその行動を慎むのが明確なルールになった。

 どこからがハラスメントで、どこまでは許されるのかなんて考えなくても、嫌がられる事をしなければいいのだ。相手を敬うことができればそうそう失礼な言動はしないで済むだろう。年下だろうと何だろうと、その人は自分とは違う人間だというだけで敬う理由には十分だ。自分と違う人は、自分にはできないことができる人なのだから。

 ただし、ハラスメントは飽くまで迷惑行為のことで、嫌がられるけれど犯罪ではない行為をさす。注意が必要なのは、ハラスメントという言葉で犯罪がごまかされている場合があることだ。特にセクシュアルハラスメントと性犯罪は混同されやすい。犯罪と迷惑行為の区別だけは、言葉の運用ひとつにしても慎重かつ正確に行われる必要がある。

 

 

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