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シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『第二の性』を読む②

〇  卵子というのは卵細胞って名前で呼ぶのがほんとうで、ならばなぜ子、という字がつくのか、っていうのは、精子、という言葉に合わせて子、をつけてるだけなのです。 

川上未映子『乳と卵』 文春文庫   p9


ボーヴォワールの『第二の性』の邦訳は、私が読んでいる河出文庫の新訳※1だと全3巻ある。

1巻の第一部「運命」は以下の3章から成る。


第1章 「生物学的条件」
第2章   「精神分析の見解」
第3章   「史的唯物論の見解」


本文では、第1章の生物学的条件について咀嚼した内容を書いておく。



ポイントは、生物学上の雌雄の二元性の事実と、人間の女の特徴、その身体の特徴だけでは性差別が終わらない理由にならない、の2点である。
(だから他の学問を調べて行こう、と次章へ続く)


人間も含め雌と雄が別の個体に分かれている生物は多いが、必ずしも種の永続に性の区別がともなっているわけではない。
雌雄同体の生物、単為生殖の生物もいる。

単為生殖の生物は下等でやがて退化するという説は既に否定されている。
彼らは無限に生殖可能でありどんな退化も確認されていない。
生物学は、雌雄の二元性を説明できていない。
雌雄の個体の分離は、単に厳然で偶発的な事実である。

生命と意識の関係について結論的なことを言うつもりはないが、すべての生命事象は超越✶を示しており、すべての活動には投企✶が絡み付いている事は断言できる。私たちの記述が前提としているのは、この点だけである。

※1   p56


人間の生殖には、雄の精子と雌の卵が一つになって胚が育つ。

精子が小さく俊敏で能動的、対して、卵子は鈍重で受動的であるように見える。

しばしば卵子は内在✶に、精子は超越✶に例えられてきた。

だが実際には、こういったことはたわごとにすぎない。オスの配偶子とメスの配偶子はともに卵の中に溶け込むのである。それらはともに自己を押し殺して、全体の中に溶け込む。両者を一つにする行為の中で互いの個別性は失われる。だから、卵子がオスの配偶子を貪り食ってしまうと主張したり、オスの配偶子がメスの細胞のたくわえを勝者として横領するというのは、どちらも同じように間違っている。

※1   p60


🔸人間の女だけが経験する疎外


女の体は第二次性徴期までは男の体とあまり変わらない。
思春期を迎えると14日ごとに卵胞ホルモンと黄体ホルモンが分泌される。
個体の不調で無月経や月経困難になる者もある。
ホルモンの影響で腹痛、頭痛、高血圧、発熱、肝臓肥大、などの症状が出る女は85%以上いる。
また、自律神経系が過敏に反応し中枢神経系による自動制御が弱まり、そのために反射、痙攣群への抑制が効かなくなり、強度の精神的トラブルをきたすこともある。
女が最も痛切に自分の身体を、疎外✶された不透明なモノと感じるのは、この時期である。

妊娠した場合には、より強い疎外✶を感じる。それ自体が重労働であり、強い船酔いと同じ吐き気に襲われる。
3キロくらいの生命が子宮からでてくる際、苦痛であり、危険である。
子供が死ぬこともあるし、母親が死ぬ時もある。また母親が重度の慢性症にかかることもある。


子供のへの初期の授乳は夜も眠れず苦痛をともない、しばしば発熱する。

種の支配を逃れる時にも、女は苦痛を伴う。45から55歳頃までに閉経期を迎え、抑鬱状態、のぼせ、高血圧、神経過敏などに襲われる。それを過ぎたとき女は雌であることから解放される。


🔸「弱さ」とは何か

女は、男よりも筋力が少ない。肺活量も少ない。

しかし、これらの事実からはそれ自体は意味をなさない。

私たちが人間と言う観点を受け入れて、身体を実存に基づいて定義する時、直ちに生物学は抽象科学となる。生理学的条件(筋力の劣等生)が意味を持つと、その意味は必ず全体的背景に左右されている。(弱さ)は、人間が自ら定めている目標、持ち合わせている道具、自らに貸している規範に照らして、初めて弱さとして現れる。

※1   p92-93

例えば近視をメガネで矯正できた場合、近視は「弱さ」とはならない。
ボタンひとつで何トンもの鉄筋をクレーンで持ち上げられるのなら、筋力の弱さは「弱さ」にならない。



生物学からは、なんで人間の女が「他者」なのか説明がつかない。
要するに、社会は種ではない。


生物学的条件は、存在論的、経済的、社会的、心理的な背景全体に照らし合わせて理解しなければならない。主に対する女の隷属状態、女の子的能力の限界は、極みで重要な事実である。しかし、体だけでは、やはり女を定義することはできない。体は、行動を通じて、社会の中で、意識によって引き受けられる限りにおいてのみ、生きた現実性を持つのである。生物学だけでは私たちの頭を占めている問題、なぜ女は(他者)なのかと言う問題に答えを出すことはできない。歴史の流れの中で、女における自然がどのように捉えられてきたのかを知る必要がある。また、人類が人類の雌をどのようなものにしたのかを知る必要がある。

※1   p96  


これから「精神分析の見解」、「史的唯物論」に続き、第二部へと進む。


続きはまた後日



おしまい

よろしければ✴︎の用語解説、※1の出典はこちらを👇ご覧下さい



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