NOTEにおけるコミュニケーションの洗練さ

 現代はコミュニケーションを中心に発展してきた側面があると思います。
 それは、純粋な意味でPeer to Peerの電話機能が主だった携帯電話、その祖先は無骨極まりないくそデカ黒受話器、の進化を見れば分かります。インターネットというインフラを手に入れ、合理の塊のようなWEBの技術も合わさり、この20年ほどで過剰なほどに小型・高性能・洗練というお手本のような進化を遂げたことが証拠として挙げられます。
 そして、ハードとしての携帯電話に、ソフトとして承認欲求や帰属意識のような燃料でドライブさせた結果、コミュニケーションを軸として今のネット文化が極まった、と考えられます。
 で、そんなコミュニケーションの帰結の一つがSNSなんですが、当然ながら電子のガラパゴス諸島でくらす一人の老人である私は、ほぼSNSを利用していません。
 このNOTEは、唯一私が利用するSNSと言えます。が、ぎりぎりSNSという性質を持つような、持たないような少しフワフワした感じの印象を受けます。NOTEは主に個人が何らかの意見を主にテキストを利用し発信します。それは、私にとって黒歴史そのものなんで触れたくないんですが、個人HPやブログといった過去の遺物たちと振る舞いは一緒になります。しかし、これらと比べた場合、ややもすれば生活感丸出しのその「身の回り感」しかなかったかつて違い、適切な距離感、客観性があるように思われます。
 他の方の投稿を見ると、やはり適切な形の発信が多いように思います。私も、かつての自戒を込めて、ひそみに倣う形で性別や住んでいる地域などあまり個人を特定するような情報を載せないように、気を付けて文章を書いています。別に個人情報がどうの、ということではなく、あまり我を出し過ぎるのも品のいい話じゃないよな、と考えているだけの話なんです。
 実際のところは、当たり前のように年齢を感じさせる例えが出ているので、先述のような「我」のコントロールが有効になっているとは思われませんが、それでもないよりマシ、と考えています。
 あれ、でもこの理論で行くと、NOTEは純粋にSNSとは言い難い、が結論なので、結局私はSNS一つもやっていない、ということになりますね。
 やはり長く電子ガラパゴス諸島で暮らしていると、言いたいこともあんまり上手くまとまりませんね。
 本日も、そんなしょうもない内容の電子メッセージボトルをインターネットの海に放り投げ、ほそぼそとですが頑張って生きています。受け取った方は、さらにどこか遠くに放り投げて下さい。

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