ChatGPTについて・収束と拡散

 Pythonの勉強を頑張っています。
 今更、一朝一夕の付け焼刃が世間一般にとって有用、というか換金性のあるものになるとは思えません。ましてや、40代の学習効果が著しく低い(一般論ではなく体感です)頭脳では、成果はたかが知れているので、よりしょうもない結果になることは目に見えています。
 ただ、私のように過去において数々の失敗を展開してきた人間には、定期的にその失敗のツケを払わないといけません。それは別にリスキリングみたいなスカした物言いなんてしなくとも、定義できます。人生には回収しないといけない取りこぼした自分の残滓があって、それを放置するとあんまりよくないことがおきるんだろうな、という曖昧ながらも自身の経験から得た確固たる事実です。
 よって、それはプログラミングについて、何度も挫折してきた自分への復讐と言えます。
 と、いう訳で、過去の失敗という関数に対し、Pythonという引数を入力します。
 さて、知人とそんな話をしていたら、ChatGPT についての話になりました。「Python始めたんだ」と言ったら、「ChatGPT」について言及されることが多かったんで、疑問だったんですが、ChatGPT がPythonで書かれているんですね。私のスキルレベルではプログラミングそのものについてを学ぶ段階なので、プログラミング言語それぞれの特徴の機微が分かる段階ではありません。
 それは、例えば関西弁について学びたい学徒が日本語の文法から始めているような状態と言えましょう。 そんなクソ素人の私なので未だ、Pythonについて理解していることは、一応のメイン教材である『Pythonチュートリアル』がチュートリアルの体を成していないことくらいです。
 さて、知人はChatGPT について、非常に興味があって利用を推進していることを聞かされました。自身が書いた文章の校正や、メーカーのプレスリリースの要約を実行しているので、非常に効率的である、とのことでした。
 あれ、私そんなことをやろうとしてるんだっけ? 微妙な違和感を感じたので、踏み込んでそのことを考えてみました。
 そもそも、Pythonを始めたのは、上記のように復讐という後ろ暗い理由は基本にはあることは間違いありません。ただ、それだけでなく、AIやChatといった現代的な応用技術の利活用のために、その基礎技術を学ぶ、という一応真っ当っぽい理由が7:3の割合で存在しています。
 何か新しい知見が、そこにありそうな予感です。珍しく私はそういう前向きな動機によって突き動かされていました。
 知人が言った「校正」や「要約」は、確かにそれっぽい利活用ですが、私が先進的な技術に期待するのは、そういった広く浅く、の利用ではなくもう一歩進んだはずだったはず。
 これが違和感の内容です。
 そうか、なんか相当昔の「パラノからスキゾ」の縮小再生産みたいになりますが、そういうベクトルの扱いの違いか、と一人で合点がいった訳です。
 すなわち、私が操作したいのは、期待の収束であり100⇒101にするような、いわばゼロイチの動作であります。対して、知人の望むものは100を50,50にするような拡散の動作と言えます。
 別にどちらが優れている、というものではないんですが、もう少し学習した先にその真相が得られるような気がします。
 予定したPythonの試験まであと一か月を切りました。


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