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弔いの鐘

 いやあ、祖母が亡くなってしまいましてね。
 齢84才、昨今では、まあまあ長生きした方と言うのでしょうか?それともまだ若いのに、ですかね?
世間的に見れば、私のような中年で祖母、祖父が存命であることは稀だと思います。が、それは私の両親は別にめちゃくちゃ不良、という感じでもないのに、二十歳前後で私を産んだからです。結果的に、一般的な感じよりも周りの親族が少し若い環境にありました。私自身の周りを見ても、だいたい30前後で結婚したり、お子さんを産んだり、みたいなイベントが増えていったように記憶しています。なので、こんな中年でもいまだにおばあちゃんっ子だったりします。
 さらに言うと、私の祖母は、祖父の妻、つまり母方の祖母が早くに亡くなってしまい、再婚をしたとのことです。家族関係がやや複雑なのは、個人よりも家や血筋といった昭和の時代に幅を効かせていた価値観ゆえでしょうか?
 で、私はそういう家族的なシステムが何故か頭に入る際に大幅に減衰する性質を持ち合わせているので、嫁、夫、位なら何となく理解ができますが、姑、舅辺りは全く分かっておりません。
 そんな理解力なので、おばあちゃんは「おばあちゃん」、とシンプルに理解しておりました。
 私は、理解力の度合いからもそうですし、もっというと血よりも関係性の方が重要だと考えています。それは、生まれてから獲得したものの方が、生まれる前から獲得していたものよりも価値が高いと思ってしまう性分の為です。獲得しようとした意思が存在するため尊いと感じるのです。
 それゆえ、いえ、それはともかく、でしょうか?「おばあちゃんはおばあちゃん」、だった訳です。
 生まれも育ちも、そして眠る場所もQ地方だったおばあちゃんは、ゴリゴリに男尊女卑や迷信が多かったように思います。井戸の近くで座ると井戸の神様に祟られる、とか、夜中に爪を切ると親の死に目に会えない、とかよく言われたものです。いまだに井戸の件は納得いかない。また、マナーにも非常に厳しく、特に食事中のマナーである、寄せ箸、迷い箸、といった作法ではよく叱られて矯正されましたが、これについては身になっている点で非常にありがたい教育でした。大人になって食事中のマナーは結構見られるので、非常に有用な頂き物となっています。みたいな感じで、立派に私の偏屈さを強調もしてはいますが、血肉となっているわけですよ。
 さて、私の両親は夏休みのお盆付近の二週間ほど、私と弟をこのQ地方に預けさせていました。生まれてから15年ほどは、毎年この習慣によって二週間ほどQ地方に住んでいました。さらに、大人になってからも三、四日ほど長期休暇を利用して帰っていました。だから、人生の内、半年以上はこのQ地方で生活していた計算になるのでしょうか。
 弟と二人で、毎年夏の二週間を山と川と海に囲まれた、優しい方でしたが、少しだけ偏屈なおばあちゃん(そして、おじいちゃんも)家にいた経験は、少なからず私の人生観や性質に影響を与えていると思われます。
 具体的には、田舎特有の陰湿さと鷹揚さでしょうか?だいたいのことを「だいたい」で済ます割には、人心に異常なこだわりを見せるところですかね。そんな訳で、薫陶、という訳ではありませんが、私が私足りうる資質の獲得において、非常に大きい影響力を持っていたものです。
 祖父は6年前に86才で亡くなったので、もう、このQ地方に寄る辺はありません。この親族のいないQ地方に来ることは、私の人生においては、そう多くはないのでしょう。
 何となく、何となくですが、自分の子供時代へのアクセスが閉ざされたように感じています。それでも、別に何らかの支障があるわけでもありませんし、なんなら元からその状態だったと言っても良いかと思います。
 ただ、それが自覚できてしまった、ということです。
 比喩的に言うなら、子供時代というサービスはlisten状態で一応存在していたんですが、アクティブ接続一覧から今失われたような感じです。
 そういうのを、寂しい、というんでしょうかね?
 享年84才、おじいちゃんは6年前に87才で亡くなってしまったので、結構歳離れてたんだな、とささいなことに気が付きましたが、生きているときはそういう祖父母の関係性がそういうものとして固定化されていたので、留意することがなかったんでしょう。少し離れたところで祖父母を捉えることができたりして、それも何だかな、という感じです。
 ともあれ、朝は5時位から家の掃除が始まり、忙しなく生活された方だったので、ゆっくりと眠って欲しいものです。
 お疲れ様でした。


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