鬼とコロナの話

 私は、〇大学の日本文化学科の卒業生です。つまり、ガチガチの文系と言えます。大学受験では、記憶すればいいだけの日本史頼りで、応用が必要な英語や国語はやや苦手でしたので、パラメータ的にはキレイな二等辺三角形を描いていたことと思われます。暗記科目は最高ですね。ここらへん、あんまり変わりませんね。
 で、なんの因果かは分かりませんが、そんな私が理系的な教養の保持が幅を利かすIT業界に入り込んだので、いつも四苦八苦しています。
 ただ、IT業界の資格の中で、今挑戦中のITサービスマネージャを始めとした、いわゆる論述系の資格に関しては、この出自がやや有利に働くかもしれません。ネットワークスペシャリストなどは記述系と呼ばれ、XX文字で答えよみたいな感じですが、論述系は2200文字超の論文を二時間で書き上げることを要します。鉛筆で。やっぱり理文は関係ないっすね。無理ゲです。 
 そんな訳で、長い文章の練習中です。で、たまには学生時代を思い出し、ゴリっと文系丸出しなことを考えようと思います。そのテーマは鬼です。私、妖怪のなかでも鬼が一番好きなんです。
 天狗や河童といった数多存在する妖怪の中で鬼をチョイスするのは、好きなMS聞かれてニューガンダムやグフカスタムをチョイスせずにザクやジムを選択するような、あるいは好きなKMFを聞かれて紅蓮やランスロットではなくサザーランド、あるいは好きなウィザードリィのトゥルーワードの魔法を聞かれて、ティルトウェイトやマロールではなくカティノ、もういいか、
のようにやや渋めのチョイスであり、少しワーキャー向けというよりかは玄人受けを、もう少し悪く言うと、お尖りになってる選択と言えるでしょう。
 私が鬼をチョイスするのは、そういう逆張りではなく、別の理由があります。
 それは、彼らが携わる領域、及び特性についてが関係しています。
 河童は河川、天狗は山といったように妖怪や神威にはそれぞれの、そこにあるべき領域が存在します。概ね、これらは人が住む領域から外れた外の世界、外界と呼ばれる領域です。これらは注連縄や道祖神といったようなガジェットでもって、こちらとあちらを明確に区分けしています。
 我々の住む領域には存在していないはずの現象です。
 これに対し、鬼は山に住んだり、島に住んだりもしますが、空き家に住むという特性があります。これは、鬼が跳梁跋扈した平安時代の言説と言われています。山や川と言った分かりやすく区分けされた異界に存在するのではなく、空き家というミニマムな異界に存在する特性がエポックメイキングだったと言えるでしょう。
 ついでに言えば、敢えて元号を「平安」にするなんて非平安な社会情勢、すなわち鬼すら跋扈するほどの、察するに余りある宜しくない状況であったことでしょう。
 家に存在する妖怪と言えば、すぐにぬらりひょんや納戸婆などが想起されます。しかし、それは現代的な感覚と言えるでしょう。そういったメジャーな妖怪は、江戸時代くらいからの比較的近世に一般的になったと考えられます。異界にのみ存在すると考えられた怪異が、すぐそこにある「空き家」という地続きの領域に存在すると考えた時の恐怖はいかほどであったのでしょうか?
 以上は、鬼が支配的であったとされる平安時代の、特にその時代にメインストリームであったとされる陰陽道という、我々にとってはほぼ奇習と考えられる考えに基づきます。例えば、方違えと呼ばれる思考ルーティンでは、よろしくない方向、具体的には丑寅(牛の角と虎の下着という、まさに鬼のイメージです)のような禁忌の方向へ直接向かうことを避け、一旦別の方向へ行ってから別の方向となった目的地へと向かいます。イニシャルベクターに推測しにくいランダムな値を追加することで複雑さを加える暗号学的な話ではなく、単に方向を変えることが目的である点が、我々の理解を阻みます。無駄ですよね。
 ちなみに、上記の陰陽道に関しては、大好きなCLAMPで基礎知識を履修しているので、ほぼ間違いはないものとお考え下さい。
 しかし、我々にとって非合理的と考えられても、そこには基準となる理が司る合理がそこには存在します。
 そういった非合理的な合理が支配する様を私は好みます。
 これは、例えば醜いものが美しい、とか、頭良いけど頭悪い、みたいな相反する属性を同時に持つ、いわば二重思考のような状態です。私は、特に、混乱の中にある秩序が大好きで、そういったものを内包する状況や人に触れることを人生の糧とします。
 最近では、コロナ禍の一連の動向が混乱の中の秩序を強く感じました。
 最初期の状態では、コロナ感染が確認されない県に旅行に行くニュースが報じられました。コロナ禍の鬱屈した空気と、それを強要された結果の不合理さを感じさせるニュースです。どこに行ったって蔓延するコロナの状況は変わることはありませんし、なんならそこに人が集まることでコロナに感染する確率は上昇するのに。
 あるいは、ワクチン接種をしない人間を非常識な人のように扱うような空気もそうですね。本来、ワクチンなんてものは、するしないは選んで当然のもの、その人の考え方によるものなのに。
 私は、当然のように同調圧力に屈して二回打ったうえに証明書を持ち歩いてましたね。まあ、サービス業なんで「うちのインターネット不通を直したければワクチン証明書を持ってこい!」みたいなクレイジーなことを言うクレイジー顧客が、稀に存在したことが主な理由ですが。
 それにしたって、あの空気はひどく狭隘で不思議なものでした。でも、それに屈してそれっぽい奇妙な振る舞いを実施していた私がいました。
 別に強いられた訳じゃないんですけどね。でも、空気にのまれてジョージ・ブッシュの仕掛けた戦争に対して相対的にどちらも理がある、みたいなわかったような言説を理解もせず振りかざしていた20年前と大差のない、成長をしない私がいます。相対化して価値中立を振りかざしても、当事者にとってはそんな悠長な話じゃないはずだったのに。
 私は、時代や常識みたいな大きな力に抗う術を未だに持てません。
 そんな「コロナ禍」も、客観的に見るなら、混乱状態の秩序の最適解とも言えたでしょう。
 私は、鬼も同様の現象であると考えます。平安時代は死人の髪を抜いてかつらを作ることを厭わない老婆、及びそれを追いはぎするような事象が確認されるような、かなりカオスな状態だったと考えられます。
 空き家に住む特性も、人を取って食うのも、カオスを押し込めていった結果の歪なコスモスと言えます。
 鬼は、みんなの不安や混沌を押し付け、圧縮してできた妖怪と考えられます。値は「混乱」ですが、成立した構造体は立派な「秩序」と言えます。
 私は、そういうよく分からんものが好きなのです。
 

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