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EXPOSE ‘Burn out!!!’

社会人になってまで文系だ理系だのにこだわるのは、いつまで学生気分引き摺ってんだよ、と思いますが、ことエンジニアという職種は理系の知識や考え方が幅を利かせる世界です。
作者が何を言いたいかを30字以内で述べるよりも、二進数の左シフトの効率性の方がよっぽど仕事の役に立ちます。
こっちが必死こいて暗号について勉強しても、あいつらは適正によって私の何倍もの速さでマスターしていきます。

しかし、愚痴っても仕方ありませんし、ゲームは配られたカードで戦うしかありません。なので、現状の手札を確認する意味で、仕事の心構えをアウトプットしていきます。

まず、基本戦術として私が心がけているのが「嘘をつかないこと」です。
これは、杓子定規な表現での意味ではありません。
社会人やってると顧客や上司に嘘をつかないといけない場面が多々あります。
そういった場面でそのまま伝えたり、虚偽の報告をするのではなく、嘘にならない範囲で真実の部分だけ伝えたり、嘘とは言えない表現にして報告します。
ありのまま素直に、なんていうのは人間性ができている私より上位の存在が取り得る手段です。
身をよじって真実に近いものを献上することによって、結果的には不都合な真実を覆い隠せることを経験上知っています。
身をよじって、がポイントです。正直であることは一見美徳のように見えますが、解釈次第では客観性にだらっと寄り添ったリアクティブな受け答えをしているだけに過ぎません。
よりかはプロアクティブに真実を加工する方が、主体性を軸に置くなら態度としてはまだマシと言えます。
結果として真実として運用されれば何も問題はありません。
できないことはできないでそれに代わり得る手段を取るだけです。

そういったうえで、矛盾するようですが、もう一つは分からないことは正直に分からないことを表明することです。
例えば、このノートのように、私がアウトプットと表現しているもののほとんどが見る人が見なくてもうさん臭さと間違った情報です。
しかし、何年かの技術者人生で唯一正しい情報があります。それは、自分が絶対に正しいと思って下した診断や仮説ほど自分の足元を掬うことです。この誤謬によって正しいコミュニケーションや正しいアフターケア、諸々の正しさから離れていきます。
よって、私は常に自分の判断が間違っていることを、都度何割か自分の処置に織り込みます。
そして、この誤謬は表明しないと自分でも全容が見えません。
口にして、文章にしてようやく誤解が形を成します。
訂正や指摘は、甘んじて受け入れます。下手なプライドでこの改善行程が機能しないのであればいったん愚か者になった方がまだマシです。
同じ愚か者でも、その過ちを修正できた分だけ賢くあります。

結局は、「まだマシ」かどうか、このリアリスティックな判断基準がすべてです。

対外的には、上っ面の正直者でありつつ、自身には適切な猜疑心を持つことが私の基本戦術です。
擦り切れて燃え尽きたって構いません。間違えだらけでも構いません。
やり切る姿が人生なのです。

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