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東大の偉い先生に質問したって話

2024/3/10
東京の一橋大学一橋講堂で開催された「第4回人文知応援大会 総合知を求めて」に参加した。

科学史の大家、村上陽一郎先生が基調講演をされるとフライヤーに書いてあったので興味があった。
かつ参加費無料だったので求職中の身には非常にありがたい。

村上先生の他に下記の日本の学術界を支える錚々たるパネリストだった。

村上先生とパネリストの先生方

特に東大の藤垣裕子先生は、東大の合格発表の記者会見に臨んでから会場へ駆けつけたとのこと。


タイトルの結論から書きます。
僕は、パネル討論会後の会場質問で一番先に手をあげて藤垣先生に質問した。

偉い人や権威に対しても僕は物怖じしない。
だってどんな人にも間違いはあると思うから。

今の政治家を見てもそうだ。
世間一般で優秀なエリートと言われる人々が私利私欲に走っている。


大学生の頃、講義中に先生が証明を間違えていたら即座に指摘した。そして分からないことは先生に質問しに行ったけど、本を読んだり講義ノートを見返したり、時間をかけて自分で考えられることは自分の頭で考えた。

だから世間一般で大家や権威とされる人の話を聞いても引っかかることがあれば質問する。

なぜなら矛盾していたり、説明不足だと感じるから。
面倒くさいヤツですね笑

そんなわけで東大の藤垣先生に質問した。

本日の講演の中で、藤垣先生はハーバードの学会で「日本人は世界トップクラスの研究レベル何に異分野間での交流が少なくコミュニケーションが下手である」という指摘を受けたとお聞きました。

異分野間のコミュニケーションとして日本人同士でも言葉の定義の違いや関係性の違いから話が嚙み合わないことがあると思います。
すなわち医師と患者、学者と一般市民など、ともすれば知識の多い者が優位に立つパターナリズムに陥る可能性があります。

本日のテーマとして「壁を越える」というキーワードがありました。
「壁を越える」ためには何が必要でしょうか?
ご教授願います。

僕の質問に対する藤垣先生の答えは

・議論のための心理的安全性の高い場が必要である。
・多様な知を結集するために異なる価値をもつ他者と出会い、互いを尊重することが大切である。
・知識を持った一方が教えるという関係性ではなく、双方向的にコミュニケーションをとり様々な視点で物事を捉える。

たしかこのようなことを仰っていたと思う。

講演の中で東大の教養課程の授業で使用されている「大人になるためのリベラルアーツ」という書籍を紹介されていたので一読してみよう。

良質な知的エンターテインメントとして人文知応援大会は非常に有意義な時間だった。

僕にとってロックバンドのライブに行くのと同じくらい興奮した。
また来年も遊びに行こう。

今日も皆様にとって、良い一日でありますように。
真実はいつも一つじゃない。


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