思想史とは何か 課題レポート③
経済学部一年 竹内 康司
カントーロヴィチの「王の二つの身体」という法思想史研究によれば、王は普通の人間と同じように傷つき、病み、死ぬ身体の他に「政治的身体」という第二の身体を有するという。「政治的身体」とは「意味によって編まれた身体」であり、記号や象徴によって構成されるものだ。将軍の政治的身体からは「御威光」が常に輝いていたのだろう。
「御威光」を輝かせる象徴的事物や儀礼・儀式・祭典等の種々の象徴的行為の本質とは、将軍を頂点とするピラミッド型支配体制の刷り込みである。理屈より心に、知性より諸感覚と感性に訴える諸象徴が、不断に機能し、体制維持の一助となっていた、と著者は考察する。
つまり厳重なる慣例・格式・作法・礼儀等が、形而下の人間(大名・旗本・町人・農民等)を束縛し、さらにその身体的束縛によって階級を強く意識させたのではないのだろうか。人は身の振舞い方によって自らを規定するという構造主義者の言説がある。ミシェル・フーコーも個人の身体および魂を一定の形態に規律することが権力の最大の作用となる、と述べている。
例えば、儀式のハイライトとして御目見があげられている。身分格式に従って、中段・下段等のいずれの間の、何枚目の畳に平伏するかをはじめ、全て厳密な定めがあり、逸脱は許されなかった。それぞれの定位置で、定まった所作を、定まった衣裳で定まった順に演じなければならなかったという。
ところが、この儀式には実用的な意味はない。純粋化された儀式、ただ将軍への臣従を丁重に確認する象徴としての行為なのである。儀礼という行為には、実用的目的はなくとも効果はある、と著者は説明する。大名たちは江戸に上り、そして登城し、着席し、平伏するまで、濃厚な象徴的空間の中で、その「位置」を執拗に思い知らされるそうだ。
すなわち、家臣の身体を文化的な統制(儀礼の作法等)によって、制約・造形し、体制に馴致させたと考えられる。また「御威光」を支えるイメージは、一旦発動されたならば、即座に何物をも踏みつぶす恐るべき実力のイメージ(暴力装置)である、という。しかし、「暴力装置」は発動することなく、平和な時代が200年以上続いた。その結果として、「御威光」は物理的証明なき象徴的事物・儀礼のイメージによってのみ機能するものになってしまった。武威をも「御威光」が反映する逆転現象が起きた、といっても過言ではない。当時の人々は、大名行列でひざまずくことで、畏れ多い「公儀」という共同幻想を抱き、生きていたのである。
最後に体制維持が象徴によるイメージに依存することによって、生ずる問題について著者は「事なかれ」を挙げている。すなわち肥大化した「御威光」を傷つけないよう細心にイメージ維持が図られた結果、生ずる形骸化である。
作り上げられた絶対性のイメージは、常に相対的な現実の中では容易に崩壊する。それまで積み上げてきた成功ゆえに、ごく小さな敗北によって全てが台無しになる脆弱性を内在しているものといえるだろう。その「化けの皮」が幕末、一気に露呈してしまったことはペリー来航から僅か15年で瓦解した経緯を見れば、言うまでもない。
参考文献
渡辺 浩.1997.東アジアの王権と思想「「御威光」と象徴―徳川政治体制の一側―」.Tokyo:東京大学出版会
内田 樹.2002.寝ながら学べる構造主義.p96 Tokyo:文藝春秋
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