真夜中、なんか食べたいときに働く教養

真夜中に目が覚めて眠れなくなるとなんだかお腹が空いてくる。布団の中で寂しくなるときだ。体の向きを変えたりして、心臓の位置を楽なようにしてごまかす。でも心ではラーメンやお茶漬けなどの炭水化物が食べたい、血糖値がきゅーんと上がって眠くなってくるからだろう。

でも食べる必要のないご飯だとわかっている。今食べなくても生きていくために必要なものではない。だから食べなくてもいい。だけど食べたい。でも…を繰り返している。

前に読んだフランクル「夜と霧」のとあるエピソードを思い出す。強制収容所に連れてこられた著者は1日一回与えられるパンをちゃんと朝昼晩と三回に分けて食べていたという。一度に全部食べた仲間たちは徐々に弱って死んでいくなか、著者は持ち堪えて生き延びることができた。
おそらく一度に全部食べた人も全部食べたら後で食べるものがなくなり衰弱していくと何となく考えてはいただろう。でも食べなければ体がもたないとか、食欲は食べ物を欲しているなどの理由で全部食べてしまった。
著者だってお腹が空いていないわけがない、でも分けて食べることの重要性を知っていた。その理由がお腹が空いているという食欲の意志を曲げて、分けて食べることができた。
教養はなんの役に立つか、という話がたまにでてくるけど、人間の自然な欲や意志を曲げてより良い方向に自分の力だけで進めていけるのは教養だけだろう
教養がなければ意志の力は正しい方向に進まないし、多数の情報に惑わされて間違った選択をしてしまうかもしれない。
夜中に食べたくなるのは炭水化物を摂取すると安心するし眠たくなる、でも食べなくても生きていけるし消化は良くないし生活習慣病リスクが高まり次の日の朝に胃もたれが起きる…だから食べない。この選択をして守らせる意志が働くのはつまり教養のおかげなのだと真夜中に丸まりながら納得させているのだ。
あと個人的には寝る前に黒酢をたくさんの水で薄めて飲むと食欲がいい具合に失せてくるので良いと思っています。

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