変化に傷ついてから変質するまで

なにかになろうとしてなににもなれなかった。

と、ひらがなで書くと気持ちがいい。発音しても「な行」と繰り返しがあって、いい感じになる。変化への失望を表している言葉は今の常日頃からチェンジ!を求めるご時世には嫌な言葉かもしれない。
ま、今はとてもカレーを食べたい気分だけど自宅に昨日買っていたサバの切り身を食べなきゃいけないとか、そんな大したことないときでも使うことができる。
でも大したことあるとき、志望校に落ちたとか会社を辞めてしまった、愛されたかったとかそういう時にも使うことができる。
だから気持ちに大怪我を負っていても大したことないよって言い聞かせることもできる。その時は便利だけど、その傷を奥底にしまいこんだままにすると、たまに疼いて苦しむことがある。まだ傷の在り処がわかるときはいいけど、長い時間が経って傷の場所がわからなくなると、苦しいけどなぜ苦しいのかわからない、状態になる。
本当なら傷を負ったときにすぐに適切な処置をしておけば1日2日で元どおりになったのに、隠したことで治すタイミングを見失う。
すると変化自体を恐れるようになる。失望を怖がっていたはずなのに、傷が埋まっている皮膚の表面をなぞるだけで苦しさがこみ上げてくる。
ひどくなると苦しさが一日中続いてしまう。この苦しさは変化 情報が常時土砂降りのように押し寄せる世間で、打たれれば打たれるほど痛みが増していく。だから屋根のあるところから出られなくなる。

どうすればいいんだろう。変化を怖がらなくていいよ、と言うのは簡単だ。でも変化はその人にとっての痛みだ。痛いところに連れ出したら逆効果だろう。
傷を治す方法もある。これが一番効果的だと思う。しかし一度埋まった傷をみつけるのは時間がかかる。しかも本人が傷を見つけようとしない限りは見つからないし、痛みに耐えられずに投げたしてしまうことだってある。

どうすればいいんだろう。
ひとつ考えていることがある。
痛みのない皮膚を作り上げて、それをずるずると雨の中に差し出していく方法だ。その皮膚は骨もなく液体のように滑らかに動く。やがてパラシュートぐらいの大きさになった皮膚は荒い息遣いで大きく膨らんで、街灯のてっぺんにしがみつき身体を起こし、濡れながらゆっくりと前進するだろう。
そんな身体なんて人間じゃないだって?
そう怪物だ。私たちは怪物として大きくなるのだ。
ずっと土砂降りが続くこの街中はすでにそれまでの人間が住むには適さなくなっている。酸性雨にうたれた微生物が性質をかえていくように、私たちの身体を変えてしまえば生き抜くことはできるだろう。

未知のものをみたとき私たちは「なに?!」と言うだろう。驚くと、言葉もうまくでてこずに「な、な、な、な」となる。
なにかになろうとしてなににもなれなかった。
すでにこの言葉のなかでうまくでてこないことを言おうとしている。止まった変化は変質していき、失望は模索になる。
君は望まなくてもその言葉を吐いた瞬間から異形への道を歩み出している。

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