本を読む、本が呼ぶ、本当に?

 青空の下で誰もいませんようにと呟いた。そんなに小さな声でなかったとしても、周りには誰もいなかったからその願いは聞き届けられたことだろう。
 彼女は右手に本を持っていた。偉大な嘘つきが自分のことを書いた本だった。書いた人は生まれた時から嘘つきで両親が嘘つきだったからそしてその地域に住むもの全てが嘘をついていたから必然的に自分も嘘つきになったと言う事だけだ。嘘について罪悪感を感じている事はなかった。だからこそ嘘が自然と口から出てきてまるで音楽のように響いていた。そんな本だ。
 彼女は森の遊歩道にあるベンチに坐った。案の定誰もいなかった。ベンチは茶色の塗装が剥げてざらついていたが、きしむことはなく丈夫だ。ブラウンのスキニーパンツを履いてきたから、足が傷つくことはないだろう。腰を下ろして、トートバッグから本を取り出し、しおり紐をつまんでページを開き読み始める。昨日のうちに半分まで読んだのだが、一日で読み終えるような本ではないと思い止めたのだった。
 風が吹いて木々の葉がこすれあう音がする。ベンチの脚に絡みつくように生えたツタ状の植物が揺れている。遠くの道を通る車の走行音が聞こえてくる。太陽に薄い雲がかかり、かすかに暗くなる。
 彼女の周りにある世界がわずかでも変わっていく。ただその流れに動かされることはなかった。本を読んでいる彼女はその本に入り込んだままだ。
  嘘つきは様々なものを嘘にした。偽りと嘘は違うと説いた。嘘が豪雨のように降り注ぎ、万物を流していく。嘘に嘘を重ねて、嘘を積み上げることで真実にしてしまっていた。
 息も時間も止まるような感覚だった。この本は今まで読んだ本のなかでも何かが違うと思ったのだ。古本屋で大量の本のなかでこれだけが違っていた。指の皮膚に吸い付つく、呼んでいたと感じた。
 だから彼女はこの本を読む時に誰もいない静かな場所を選びたかった。閑静な住宅街の外れにある小さなアパートに住んでいた。仕事は建築業事務をやっていた。今年で六年目になる。高校を卒業してから、とある工業部品製造工場に就職したが人間関係の派閥争いになんとなく巻き込まれて心身ともに疲弊して二年で辞めてしまった。その時のせいで今でもオイルのにおいがすると頭痛がする。
 色々とバイトを渡り歩いて、今の職場にたどり着いた。両親とは疎遠のためワンシーズンに一回電話はするが、家に帰ることはない。彼女にとって本はわからない将来のことをや不安を慰め、自由を与えてくれるものだった。
 周囲は夕暮れが近づいて大分暗くなっていた。このベンチの周りには外灯がないため、日が落ちれば道どころか足下までみなえなくなる。スマートフォンの懐中電灯機能があるとはいえ、小さな明かりを目印に歩くのは不安がある。
 それでも彼女は本を読み続けている。目は確実に次の文字を追っている。読むことを止めることはなかった。ページは残り少なくなっていた。
 世界中が嘘でおおわれてしまい、生物たちは嘘を身にまといて大きくも小さくもなり、飢えも誕生もした。嘘によって作られた真実と純粋無垢なまでに研ぎ澄まされた嘘がぶつかりあい。そこで嘘はすべてを作り上げられるのだと知れた。嘘こそが人間の根本なのだと。つまり人間は嘘なのだと。
 あたりがとっぷりと暮れて、近くの道路を通る車の音も少なくなってきたとき、一匹の狸が餌を求めてふらふらとベンチの前までやってきた。ベンチの上にみなれないものをみつけた。トートバッグだった。狸はトートバッグのなかに頭を突っ込みなにか食べ物はないか調べた。色んな細かいものは入っていたがお目あてのものはなかった。狸は頭を出して、他にないか周囲を見渡したが、ここにはなにもないので町に出た方がいいと判断する。開かれたままの本を足蹴にしてベンチから飛び降りる。狸は一度も振り返ることなく町への道を一直線に降りていった。

 

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