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今、近くの海まで

海が見える場所に行きたかった。
朝、遊びにきた友だちにいうと、よっしゃとナビも使わずに、海のある方角へと車を走らせた。ここらへんの海はほとんどが護岸工事をされているから海までの道路はアスファルトで整備されている。
一時間かけてたどり着いた先は見知らぬヨットハーバーだった。強めの海風が吹いてきて、少し肌寒い。たった数日で夏のことが懐かしく思えてくるのが自分でもわがままだと思う。
「本当に海を見たかったの?」
車を運転してくれた友だちが話しかける。寒がりな彼はすでに薄手のジャケットを着て、ポケットに手を入れている。
「ありがとうね。むりいっちゃって」
「ん、暇だし」
そう言って無糖の缶コーヒーを差し出した。受け取るとほのかに熱を感じた。ポケットに入れていたのはこれだったのか。
「もうすっかり寒くなっちゃって嫌になるよなあ」
そういって反対側のポケットから取り出したもう一本のコーヒー缶を両手で包み込むように持っている。
「海好きなの?」
「嫌いだよ、海をみるのも八年ぶりくらいじゃないかな」
この返事に彼は答えず、朝日で光る波間を見ながら缶コーヒーのフタを開けた。
「まだ海見てくでしょ。俺は眠たくなってきたから車に戻るよ。ゆっくりしていっていいから。あと、奥にみえる白い小屋がトイレだからそこ使ってね」
そう言って彼は車のある場所へと戻っていった。その後ろ姿を見送ったあと、堤防沿いにあった縁石に腰をおろした。
目を閉じる。まぶた越しに伝わる太陽の熱と海からの潮風、波の音と、遠くからの車と汽笛の音、そして自分の心音。
やはり前住んでいたところとはだいぶ違うなと感じる。こんな海のにおいはしなかったし、波も荒かった。聞こえるものももう少し騒がしかった気がする。
だが、気のせいかもしれないな。案外楽に海にこれた。友だちにここまで車を出してくれたことと、缶コーヒーのお礼もしなきゃいけない。
だからもう少しここにいよう。
すぐに立ち去るには自分の時間が経ちすぎてしまった。感じるだけ感じていこう。
再び眼を開ける。乱反射する海がみえる。それは昔の海と変わらない、何十年、何千年と繰り返した営みなのだろう。
また目を閉じた。温かくなる。まぶしすぎたのだ。

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