世間に怒り続けるのを止める

『世の中ずいぶん舐めて生きてるよな』『つまらない。描くの辞めたら』『本当に人のことを思えばこんなことはできないと思います。彼は同じ人間なのでしょうか』
今日も私は匿名で世の中の怒るべき情報に強い言葉を書きつける。ネットの中にはたくさんの憤ることのできる情報があふれている。私はその情報に率直な気持ちをぶつけている。
いくつかコメント欄に書き終えたとき、外でカラスの鳴き声が聞こえてきた。朝がやってきたのだ。声のするほうをみるとカーテンのかかっていない窓ガラスがあり、外は真っ暗だ。そこには室内の明かりを反射して、今の私の容が映し出されている。不健康に老いた私の顔がこちらをみている。急に吐き気がしてくる。おぞましさはなんだ、まるで節だつ巨木の根のようだ。
頭をパソコンデスクに叩きつける。二度、三度、激しい音がして。顔をあげたら、めまいがした。椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。いつもの黒ずんだ部屋の天井と蛍光灯の明かり。
私は数ヶ月ぶりに正気になった気がした。
何故こんなことをしているのだろう。まともに仕事をしたのはどれくらい前だろう。外には買い出しに出かけるし、SNSで意見を発信したりしてコミュニケーションはとっている。だから引きこもりではない。
しかし私はなにをしたのだろう。ものをつくったわけでも、渡したわけでも、誰かに働きかけてもいない。
まだ情報の発信源になっている何者かのほうがなにかをしている、してしまっている。
では、私は一体なにをしているんだろう。なにもしていない。そうだ、あえてなにもしていない。なにもしていないからこそ怒り、憤り、その感情を書くことができるのだ。
私が怒りをぶつけるのはなにかをした奴らだ。奴らという名もない人形を作りだし、そいつの髪の毛を掴んで机に叩きつける。人形は絶命の声を上げる。何度も繰り返し満遍なく叩きつけ血が気にならなくなるまでぶつける。人形は声を上げなくなる。そしてまた聞こえる。どこから声がするのかと辺りを見回してから、自分の口からだと気がつく。想像から気持ちが溢れ出し涙が頬を伝う。顔が歪み、鼻水が吹き出す。
やがて声をあげて泣いた。痛いからだ。どこも傷ついていないこの私に痛みが走るからだ。
しばらく泣いたが、疲れてしまい涙が出てひっこんだ。外はまだ暗いながらもグレーの空が広がっている。今日は曇りらしい。今から寝る私にはあまり関係がなかった。
目の焦点が合わない。足元に敷いてある布団に寝ようと立ち上がったとき、椅子に足を引っ掛けた。そしてその椅子がくるりと回転して、私の後頭部に背もたれの硬い部分がぶつかる。
体の力が抜けて、視界が明るくなった。布団の上に倒れたことは感触でわかる。
なにか聞こえてきた。カラスの声ではない。ピアノの音だ。ゆっくりとした旋律で、物悲しく、ひとりぼっちな気持ちになってくる。聞き覚えのある曲だ。クラシックなんてほとんど聞いたことのないわたしがわかるくらいだから、有名なんだろう。
曲は頭の中でなり続けている。
もしこの曲が思い出せたらなにか私の中でも変わる気がした。しょうがないよ、と世の中を、そして私自身を許せる気がしたのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?