滅びの向こうで輝くまで

 妹が透明で硬くなっていこうとしていたとき、姉である私は水を求めて山の麓を掘っていた。
 五日、山間の石だらけの干上がった川を掘っていると、湿り気のある土をみつけて、そこからさらに半日下に掘り進めてようやく地下水を見つけることができた。泥へと顔をつっこみ水をすすり、しばらくその冷たさを感じていた。
 私は背負いかばんのなかにしまっていた瓶に水を詰めて、他の彫っていた穴をすべて埋め直し、肝心の水がでた井戸は上から板で覆い、土をかぶせて、さらに枯れ草の覆いをした。そしてさらに半日かけて家に帰ってきた。私はベッドの上で服もなにも纏わず、硬く透明になっていた妹をみつける。約一週間家を開けていたことになる。
 妹の胸のあたりを撫でてみる。冷たく、適度にざらついて肌に吸い付く感触がした。
 まるで水晶みたい。
 私はそのまま椅子に座った。窓は開けっぱなしで、そこから快晴の空を眺めるとたくさんの細い紐が空から地上へと伸びていた。
 似たような光景をみたことがある。母親が織り機で布を作っていたとき、乳白色の布になっていく糸たちが窓から差し込む光を受けて優しい光を蓄えて輝いていた、あれだ。
ただし今空から伸びている紐はもっと厳しい。あれは中が空洞の管で地上にある水を天へと吸い上げて、はるか遠くの宇宙の彼方へと運ばれているようなのだ。

「あの紐が空から降りてきてから海がどんどんと遠ざかっている」
 半年前、隣に住んでいたおじいさんが教えてくれた。その日は朝早く、私の家までおじいさんはやってきた。入口近くの椅子に腰を下ろすと、ため息をひとつついて、すぐに用件を切り出したのだった。
 おじいさんは漁師でだいぶ高齢で、普通なら引退するものを一人暮らしで心配するものもいないからと、周りが止めるのも構わず海に出ていた。
 おじいさんは私たち姉妹をずいぶん気にかけてくれていた。あまり稼ぎのない私たちに魚や野菜、果物をもってきてくれたり、力仕事や私たち二人では解決できない困ったことがあったときには相談にのってくれた。頼れるおじいさんだったが、今回の天からの紐たちに関してはまったくのお手上げだったようだ。
 紐たちは突如空からするすると降りてきて水平線の向こう側へと伸びていった。しばらくは何事もなかったが、徐々に海が遠くなっていっるのだという。
「それまで船を止めていた堤防の周りは砂だらけで、船の半分は陸にあがっちまった。今じゃ堤防から海にいくのですら歩いて一時間半かかっちまう。これじゃ若いやつはまだしも、足腰の弱い俺は辞めなきゃならねえ」
 初めてみるおじいさんの弱気な姿をみてただ事ではないのだとわかった。
「私はどうしたらいいでしょうか」
 私の言葉をきいて、おじいさんはこちらをちらりとみてかぶりをふった。
「瓶や桶、なんでもいいから一杯に水を溜めておけ。なにが起こったとしても、水さえあれば生きていけるもんだ」

「おはようお姉ちゃん」
 妹はおじいさんが帰ってから、朝の煮炊きを進めている途中で起きてきた。声は弱々しかったが赤みがさした顔色をみて、今日は比較的調子がよさそうだと思った。私は手を止めることなく、おじいさんが今朝やってきて教えてくれたことを話した。しばらく考えてこんでいた妹はいつもと同じ調子で答えた。
「人間は絶滅するわ」
「物騒なことをいうものね、夢見でも悪かったの?」
「あの管は宇宙へと伸びているんでしょ。海を吸い上げているから、この星の水は減っていくでしょ。だから水は星を回らずに消えてしまうの。生き物は暮らしていけないわ」
 だから、と続けようとした妹の目の前に雑穀の粥が入った器を置く。
「わかったから食べちゃいなさい」
 むりやり妹の言葉を切った私だが妹の予想はあながち間違ってもいないだろう。海がなくなっていくという事態に対して対処方法など誰も知らないのだから。町のなかで孤立している私たち姉妹だが、井戸の水は共有だった。まだ水は出ていたので、その日から暇ができては水を容器に蓄えていった。
 すべての容器に並々と水が蓄えられたとき、町の井戸が枯れ、川から水が流れなくなった。雨も降ることなく、町中が騒がしくなっていた。そしてあまり大ぴらにされることのない争いが所々で発生してはひと家族が消え、次の日には違う家族が消え、それを繰り返すうちに町からは人の声が聞こえなくなっていた。
 その間、私たちは蓄えた水と保存食糧を少しずつ消費しながら静かに家のなかでじっとしていた。
 時折妹がうわごとのように呟いていた言葉が気になる。
「生物として滅んだとしても、一緒に暮らせる方法があるのよ」

 そんな暮らしをしていてもやがては水も食糧も尽きる。最後の瓶の半分まで水が減ったとき、ようやく私は外にでた。襲われないよう用心のため、恐る恐るだったが人どころか動物の痕跡もなく、木々はほとんどが枯れて荒れ野となっていた。おじいさんの家は誰かが火をつけたのか焼け焦げている。
 町の中心へと歩く気にはなれなかった。家の中に戻ると妹に声をかけた。
「水を手に入れるために家を開けるわ。しばらく家に帰れないかもしれない。あなたは残った水をゆっくり飲みながら待っていて」
 水の入いった瓶をかばんの中にいれ、土を掘るためのスコップ、石を砕くためのツルハシを紐で体にくくりつける。
 家から出ようとしたとき妹が声をかけてきた。
「お姉ちゃんは水をみつけてきてね。私は大丈夫だから」
 気がつくと暗闇だった。どうやら日はとっくに暮れていたようだ。久しぶりの我家だったため、疲れがでて椅子で眠り込んでいたようだ。立ち上がろうとしたが体が動かない。体がくずおれて、床に倒れる。這うようにかばんがあるだろうと思われる場所まで近づき、手探りでかばんをみつけて、瓶を手にとり一気に水を飲み干す。
 そして立ち上がり、妹の寝ているベッドまで近づいていく。妹はやはり硬いままだった。暗闇のなかだと透明の体は視認することがさらに難しい。
 生きているのだろうか。すでに死んでしまったのか。わからない。わからないから悲しむこともない。きっと家に帰ってきたとき妹の姿が消えていたら、悲しくて泣いていただろう。もしも透明で硬くなっておらず、普通のカサカサの死体だったらやっぱり泣いただろう。
 でも透明の体だったら。
 私は泣けなかった。
 生きるのも死んでいるのもあまり変わらないのかもしれない。そのなかでたとえ多少は長く生きたとしても、水が必要な生き物たちはやがて消えていくだろう。
 それだったら消えることのない形になればいいのかもしれない。でもこれじゃあご飯も食べられないし、話することなんてできないじゃない。私は楽しくない。
 妹の姿がゆっくりとみえてきた。太陽が登ってきたのだ。雲はだいぶ前からみかけなくなっていたから、今日も快晴だろう。
 日の明かりのなかで輪郭がはっきりとしてきた妹の透明な体はやがて窓から直接入り込んだ光が当たり、輝きだす。私は少しも動かずに、妹の体をみていた。

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