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【PODCAST書き起こし】梅山いつきさん(近畿大学・准教授)に「運動」としての演劇をされている、佐藤信さんについて聞いてみた!(全5回)その3

【山下】1個質問なのは、詩人のこれ、なんて読むんですか? キム……。

【梅山】金芝河(キム・ジハ)ですね。

【山下】金芝河(キム・ジハ)さん。

【梅山】はい。

【山下】名前はよく見るんですけど、その人の作品を劇化しようと思ったのは、これは佐藤さんと金さんとの関係があったからなんですか?

【梅山】いや、直接の交流はないと思うんですよね。金芝河だけじゃなくて、いわゆる韓国の民衆演劇にあたる仮面劇についての研究会というのも、黒テントでし始めるんです。

【山下】黒テントは、なんかもう研究者集団みたいになってるじゃないですか。

【梅山】皆さん、すごく熱心。

【山下】すごい、みんな熱心ですね。

【梅山】熱心な人。この頃黒テントの内側では、活動方針というものを具体的に何個か立てていまして。そのうちの1つが「赤い教室」ということで、学校を始めるんですよね。

【山下】学校を始めるってどういうこと?

【梅山】練馬の作業場で劇団員も含めて、あとは一般。

【山下】演劇の学校?

【梅山】はい。一般の人も募集をかけて学校をやるんです。

【山下】じゃあ、そこで演劇のワークショップしたり、プロダクションをしたりとかっていうことですね?

【梅山】それよりも、さっき言った仮面劇、マダン劇について一緒に学んでみるとか。

【山下】ああ、なるほど。要するに学ぶほうと。

【梅山】あとは、大道芸の技術っていうのを…。ちょっと一輪車乗ってみるとか。そのとき掲げてた標語が「演劇を使う」。学ぶっていうんじゃなくて「使え」っていうことを標語に。

【山下】学び場として作ってきたんですね。「演劇を使う」ね。

【梅山】そういうのが内側で起きていた活動だったんで、そういったことと連動させながら朝鮮半島の芸能に関心をどんどん寄せていって。それで金芝河っていうのはやっぱりその当時の韓国を象徴するようなスターの作家だったので。

【山下】詩人でね。僕も名前だけを知ってましたが。この人は、どのような詩を発表されてたんですか?

【梅山】この黒テントとの関わりでいうと『糞氏物語』っていうものがありまして。

【山下】『源氏物語』の「源」が「糞」になっているのね。

【梅山】はい。それは強烈な日本批判であり、あとはそんな日本に迎合してしまうような韓国政府を批判するっていう、ちょっと自虐も込めての作品なんですけど。

【山下】なるほど。

【梅山】日本人の主人公の男の人っていうのが、日本でずっと幼少期から成長していって……ちょっと汚い話なんですけど、排便ができないっていう。そこに精神的な何かが重ねられてるんですけど。

【山下】それはそういう詩なんですか?

【梅山】詩というか、これは長編の散文ですね。
【山下】それは、金さんが書いた散文がそうだったと。

【梅山】はい。でも、戯曲形式ではないんです。

【山下】でも、散文を書かれたんだ。

【梅山】はい。散文で、まあ散文でもありますし、ちょっと長編詩みたいな部分もあったり。私は翻訳でしか読めてないんですけど、かなり壮絶な作品なんですよ。

【山下】すごい話ですね。

【梅山】はい。それを斎藤晴彦さんたちが上演してっていう。

【山下】糞氏物語。

【梅山】はい。糞氏物語。長編詩なんで、詩と散文の間ぐらいな感じですかね。

【山下】ということは、直接に金さんと佐藤さんが交流があったということではなくて、韓国の仮面劇とかを始める演劇を研究している方で、彼の作品とか散文に出会ってそこからインスパイアされて劇化したと。

【梅山】そうですね。この時期、特に信さんが常に中心で関わっているわけではなくて。もちろん演出としてとか集団の中心的なメンバーではあるのですけど、他の方たちが主導となってやってる部分もあるので。

【山下】他のスタッフと深くコミットしていくと。プロデューサーだな、やっぱり。そういうところあるね。「じゃあそれ、ちょっとやってみようか」っていうので決めていったということですね。

【梅山】そうですね。確かこの金芝河のものに関しては、斎藤晴彦さんと福原一臣さんの2人が中心になってやっていて。このときは大学の学園祭とかいろいろな所に回っていって……。

【山下】ああ、学園祭を回ってたんだ。

【梅山】教室で上演するっていう趣旨でやっていたんですよね。

【山下】ああ、教室で。なるほど。いろんな活動をされてるんですね、本当に。ちょっと話が変わりますけど、1個だけ聞きたかったのが平野甲賀さんっていうデザイナーの人がいて、彼が黒テントのポスターを作ってて、梅山さんはそういうポスターデザインとかが好きでアングラにはまったと前回うかがいました。

【梅山】はい。

【山下】平野さんと実際にお会いされたことはありますか?

【梅山】そうですね。直接何かお話させてもらったことはないんですけど、黒テントが神楽坂の岩戸を拠点にしてたときは、平野さんたちも運営にかなり関わっておられたので、よく岩戸ではお見かけしましたね。

【山下】ああ、そうなんですか。「私、ファンです!」とか言わなかったですか?

【梅山】いや、ちょっとファン過ぎて、あまり話しかけられない。

【山下】ファンすぎると言いにくいですよね。

【梅山】そうなんですよね。

【山下】僕も糸井重里さんに会ったら……。

【梅山】いっそのこと知らなければよかったっていう……。大胆に話しかけられるんですけれども、もう、なんか神々しすぎて話しかけられない。

【山下】分かります。私は、糸井重里さんに会ったら多分おんなじだと思います。宮崎駿さんとかもそうかもしれない。1回、平田オリザさんと飲んだことがあるんですけど、本広(克行)監督とたまたま同じ日に『月の岬』を観たことがあって、「じゃあ紹介するから飲みに行こう」。と、で、ファンすぎるから前に座ったんだけど、緊張しちゃって。

【梅山】ああ、分かります。

【山下】いかに平田さんの作品を観ててこれが好きか、ってことをプレゼンするから、周りがシーンとなっちゃってね。「これは駄目だったんじゃないか」という、むちゃむちゃ恥ずかしい経験をしたんですけど。でも本当にお話ができて……私と同い年なんですけど。光栄でした。

【梅山】平田さんですか?

【山下】そう、1962年生まれです。すごいいい経験を……今、ちょっとそれを思い出しました。平野甲賀さんの話をしたのは、実は僕、学生時代……晶文社っていう出版社のブックデザイン、本の表紙が好きで。あれ、ほぼ平野さんがやってたから。

【梅山】そうですね。

【山下】「なんて面白い手書きの文字だな」と思って、毎回それがインパクトがあるから。でも読むと難しい本ばかり晶文社は出してて、「なんだろうこの出版社は」と思ったら、後でこの梅山さんとかの文献をもって知ったんだけど、ツノウメタロウさんっていう人が……。

【梅山】津野海太郎(ツノカイタロウ)さんですね。

【山下】カイタロウさんか。この津野海太郎さんって、晶文社の編集者ですよね?

【梅山】はい。

【山下】だから、平野さんがあそこのデザインやったのかな?

【梅山】あ……ちょっと……。

【山下】だから、津野さんと平野さんはお知り合いだったんじゃないかなと思って。

【梅山】津野さん自身は六月劇場で、黒テントの前身の演劇センターのときのメンバーなんですよね。平野さんももうその頃から、演劇センターの頃からやっているんで。

【山下】ああ、その頃から。

【梅山】ただ、きっかけがちょっとなんだか、誰が糸口、きっかけかっていうのは、ちょっと分からないんですけどね。

【山下】でも、そもそも顔を知ってたってことなのか。

【梅山】はい。

【山下】それで、津野さんときどき『本の雑誌』にエッセイを書いていて。

【梅山】津野さんの『おかしな時代』という自叙伝のような……黒テントの話を中心に、黒テントとビックリハウスの頃のを書いておられる本があって、そこにもしかしたら平野さんとの出会いについて書いてあるかもしれないですね。

【山下】ビックリハウス、懐かしい! あるかもしれないですね。ちょっと読んでみます。ツノカイタロウって読むんだ。

【梅山】カイタロウさん。

【山下】知りませんでした。私の学生時代のあこがれのブックデザイナーだったんで、ちょっとこの話をしました。

【梅山】やっぱり津野さんがおられたってことも、初期の黒テントのときは大きなことなんですよね。

【山下】ですよね、分かる。

【梅山】敏腕編集者で、やっぱり情報通というか、常にいろんな情報を得てくるような方で。演劇センターという構想自体も、アーノルド・ウェスカーというアメリカの現代演劇の作家がいるんですけど、ウェスカーを日本に呼んできてやろうっていう企画があって、そこをヒントにしながらっていうようなことも、津野さんがそういう話を持ってくるとか。

【山下】津野さんの情報に引っかかって。

【梅山】はい。佐伯隆幸先生と津野海太郎さんっていうのが二大ブレインみたいなかたちで、信さんの横にはおられて。
全く違うタイプのお二人なんですけど、そのお二人がいることで信さんは、その当時かなり創作に充実することができたんですよね。

【山下】この前、梅山さんと佐藤さんが対談された記事に……佐藤さんがしゃべっていらっしゃいますけど、「最初に僕が文章を書かせてもらったのは六月劇場のパンフレットです。佐伯隆幸ともう1人は津野海太郎が編集していて、まだ20歳そこそこの書き手にとってその出会いは大きかった」。これが、まさに今、梅山さんがおっしゃったこととすごくつながりました。

【梅山】はい、そうですね。

【山下】ちょっと話脱線して、このときにもう1人……これミイチ書房かな? サンイチ書房って読むのかな?

【梅山】三一(サンイチ)書房です。

【山下】「……にハタケヤマさんっていう編集者がいらっしゃって」って書いてあるんだけど、実は梅山さんのこの本は作品社から出てますが、佐藤さんが「編集者の方に大分お世話になったんだろうなと思ったんです。今回も前回と同じ作品社からの出版でしたので、きっと大丈夫だろうと思って」っていうので、これをちょっと聞きたかったんですけど。梅山さん、これは何冊目かなんですけど、書くときに編集者とのやり取りってどんな感じで進んでいったんですか?

【梅山】あんまり内容についてはやり取りはしてないですね。私は本当に致命的な欠点で、とにかく遅いんですね。

【山下】書くのが?

【梅山】はい。「遅いんですね」ってどやって言ってもしょうがないんですけど。

【山下】大変ですね、編集者は。

【梅山】だから、そこに辛抱強く付き合ってくださって、絶妙なタイミングでお尻をたたくのがうまいっていうのが。

【山下】この編集者の方が。

【梅山】作品社のウチダさんの妙技ですね。

【山下】ウチダさん?

【梅山】はい。

【山下】でも作品社のウチダさんがいたから、いろいろうまくいったとかっていうのも、やっぱりあるんですか?

【梅山】まあ、私はまだまだ駆け出しというか、まだこういう本を出すにあたっても「なんか書いてください」っていうんじゃなくて、自分でこうやって助成金引っ張ってきたりしてなんとか出せる、っていうようなものですから、そういうものに対してプロの目で「こういうふうなタイトル付けないと」とか、「こういう編集しないと流通しないよ」、「なかなか一般の読者に届かないよ」っていう、すごく冷静な視点からおっしゃってくださるので……。内容についての踏み込んだやり取りというのは、私がほとんどぎりぎりにいつも上げるので、無いんですけど。ただそういうところでは厳しく……例えば編集の方もすごく黒テントに思い入れがあり過ぎると内々な内容になりますよね?

【山下】分かる。閉じられちゃう。

【梅山】だから、前回の本に関しても今回の本に関してもそういうのがないので。特に今回のなんかは、佐藤信さんっていうのは演劇界ではすごい重鎮、名の知れた方ですけど、それが一般ってなったときに、なかなかそこは手に取ってもらえないだろうっていうようなこともズバッて言ってくださるんで、じゃあどういうふうな装丁とか、いろいろしたほうがいいのかっていう。

【山下】なるほどね。これを書くのに何年ぐらいかけて書くんですか? これ、すごく厚いじゃないですか?

【梅山】自由劇場のとかセンターの話はこれまで少しずつ書いてたんですけど、それ以降のとか幼少期のは今回ほとんど全部書き下ろしで。1年もないんじゃないでしょうか。

【山下】1年ぐらいで書くのか。

【梅山】そうですね、1年もないかもしれない。

【山下】これって、文字数とかで一応なんかありますか? 何文字とか何ページとかでやるんですか? ちょっと教えてもらおうかな。素人で分かんないです。

【梅山】ページですね。ページで本って決まってくるので。

【山下】じゃあ、この「三百何十ページってやつでやろう」っていうので、決めてから書くんですか?

【梅山】まあ、決めて書いたっていうよりは、結果的にこうなったっていう感じですね。

【山下】なるほど。「こんなにたくさん書くの大変だなあ、本当に」と思って。これは、頭から順番に書いていくんですか?

【梅山】そうですね、結果的にそうなりましたかね。

【山下】最初に構成か何か決めてくるんですか?

【梅山】構成は決めました。やっぱり時系列っていうのは一番分かりやすいんですけど、当初はもっと欲張っていて、結城座とのこととかオペラの話とかっていうのも入れたかったんですけど、ちょっとそこまでが期限までにできないっていうことと、変にそこを入れて「あれもやりました、これもやりました」でちょいちょい触れるよりは、1作1作きちんと……っていうほうがいいだろうっていうことで。

【山下】なるほど。それは、梅山さんが自分で考えて、決めながらやって。

【梅山】そうですね。で、黒テントというふうに途中でもう絞って。

【山下】なるほどね。でも、そのほうが割と初めて取る人には分かりやすいかもしれないですね。

【梅山】そうですね。ですから、佐藤信さんについての評伝としてはちょっと片落ちな部分があると思うんです。

【山下】じゃあ佐藤信の評伝は、梅山さんの宿題かもしれないね。

【梅山】そうですね。ですから、2の代わり、3の代わりで。

【山下】今度佐藤さんといろいろお話を聞いて、資料もたくさんお持ちでしょうから。

【梅山】そうですね。やっぱり演出家:佐藤信としての作風については、もっともっと論じたいんですよね。やっぱり面白いんで。

【山下】面白いですよね。

【梅山】はい。

【山下】僕もすごい聞いてみたいし、変化の経緯とか。

【梅山】今回は作、演出作品を中心に扱っているんで。

【山下】そうか。だからオペラとかもですね。

【梅山】はい、オペラもですし、そういうダンスのほうの仕事とか、あとはお能のほうとか。結構面白いんですよね。洗練されてるんですけど、非常に美術のほうも手がける方なんで。

【山下】なんでもやりますね。

【梅山】なので、そういうところについてはいろいろ語ってみたいな、っていうところはありますね。

【山下】この本を残すことは、後世の演劇人に対して、1つのいいあれになるような気がしますけどね。

【梅山】なってほしいですね。ですから、これがきっかけで信さんの仕事のことを知って、「ああ、こういうふうにやれるんだ」っていうふうに励まされて自分たちもやる、っていうふうな人が若い人たちで出てくるとうれしいですよね。

【山下】いいですよね。また「俺たちもテントでやってみよう」って思うと、新しいポップな今風のものができると、それはいいなと本当に。これは、僕は個人的に、本はどうやって書くんだろうって、こんな長いやつを。入山(章栄)先生が『世界標準の経営理論』という本を出していて、「私はこれを30万字書いた」と書いてあって、「30万字ってすげえなあ」と思って。私なんか1,000文字書くのにヒーヒー言ってるのに、それの300倍? その本は、むっちゃ、こんな厚いんですよ。

【梅山】でも、人によるんじゃないですか? 一番理想的なのは、少しずつ少しずつ書き溜めていってっていうのがいいんでしょうけど。

【山下】梅山さんは、これは書き溜めたのもあるけど、他は全部一気に書いたんでしょ?

【梅山】ほとんどそうですね。だから、もう締め切りというすばらしい装置を使ってですね。

【山下】追われながら。

【梅山】はい。やっぱり何か思考しながら言葉にしていくっていうのは、まとまって集中する時間ってどうしても必要だっていうのは、他の研究者の先生方もおっしゃってますね。

【山下】こんな書いてる間、Twitterとか見てる場合じゃなくなっちゃいますよね、本当に。

【梅山】そうですね。Twitterどころかお風呂とかも入れないぐらいな感じに、最後は。

【山下】なるほど。修行僧のような(笑)。

【梅山】そうですね。もうげっそりな感じではありますけど……そうですね。

【山下】こうやって残って、しかも受賞してるから、それはそれで僕はすごいよかったなと思いますけどね。

【梅山】でも内容というよりは、やっぱり信さんについての本というのが、これまでデイヴィッド・グッドマン先生以外になかったっていう、ちょっとそれも、まあ。

【山下】ちなみに、デイヴィッド・グッドマン先生は英語で書いたんですか?

【梅山】日本語で書かれているんですけど、それも絶版になってますし。だからそんな中での、信さんのこれまでの仕事をまとめたっていうところを評価していただいたのかなとは思います。

【山下】なるほど。

担当:荒井順平
 ご依頼ありがとうございます。この仕事を通して、今回初めて梅山さんを知るいい機会になりました。書籍もぜひ読ませていただきたいと思います。ありがとうございました。


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