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中山美穂「JINGI・愛してもらいます」

今日の曲は、中山美穂の「JINGI・愛してもらいます」。

作詞は松本隆。作曲は小室哲哉。編曲は大村雅朗。

中山美穂は1970年3月1日生まれ。出生は長野県佐久市、育ちは東京都小金井市出身。

1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされる。「ラッキーッ!」っと心の中で叫び、疑惑も不安も迷いもなく、芸能界に飛び込む。幼稚園の頃から芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った。「テレビに出れるし、目立つし、人前に出れればキャアキャアいわれる」という単純な動機から。原宿でスカウトされる以前も、映画や劇団のオーディションを多数受けていた。当時、歌手志望の夢をまだ捨てていなかった父から「おまえが先に芸能界に行くのか!?」と驚かれたくらいで、まわりの誰からも芸能界入りの反対はされなかった。

モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属となり、雑誌『花とゆめ』の懸賞ページの写真モデルが初仕事。テレビに出るのが幼少期からの夢だったため、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった。最初は広告、ポスター等のモデル活動のほか、TDKカセット「ADスプレンダー」や明治製菓のCMに出演。ビジュアルでは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラスという評価があり、この時期の活動がそれを根拠づけている。

芸能活動が活発になってきた中学3年の時に東京都板橋区立板橋第五中学校に転校し、のちに卒業。高校は東京都立北園高等学校定時制に進学したが、芸能活動を優先するために1年二学期に中途退学した。

1985年1月8日、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。女優としてより、テレビデビューできたことが幼少期からの夢を叶えたと思えた。 思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマで、刺激的なシーンやセリフが多く、今までにないその鮮烈な内容が大いに注目されて大ヒットした。

同ドラマ終了後、バーニング傘下のビッグアップルに移籍する。1985年6月21日、シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー。1985年12月14日には、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』が劇場公開されて大ヒット。また年末には、新人アイドルが豊作だった中で、その頂点に達する第27回日本レコード大賞 最優秀新人賞 を受賞するなど活躍が続いた。また同期には森川美穂、本田美奈子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、おニャン子クラブ、井森美幸、森口博子、中村繁之、芳本美代子、森下恵理、大西結花、いしのようこ、網浜直子など、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。

1986年には前年以上の活躍を見せ、ヒット曲を連発。トップアイドル歌手として多くの歌番組に出演した。そんな1986年7月15日にキングレコードからリリースされたのが中山美穂の6枚目のシングル『JINGI・愛してもらいます』。自身主演の東映映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』主題歌である。

デモテープを作った小室哲哉は「イントロ、Aメロ、Bメロ、サビとコード進行が全部同じだ、同じ4小節が4つ並んでいる」と自分の力量の無さに打ちのめされていたが、それをクレッシェンドに上げていった大村雅朗の仕上げ方に衝撃を受けた。


曲名からインパクトが強い曲だが、昭和のアイドルソングらしいテイストの1曲。

コード進行が同じ曲というのは邦楽の中ではかなり珍しい方だが、聞いてみれば単調さを感じさせないメリハリが効いた楽曲になっている。小室哲哉の話もあって、そのアレンジ力に加え、中山美穂の歌唱力の高さが際立つ。

「JINGI」って字面すごいよね。


今日の写真は、スケバンのイベントでもらったあんぱん。

あんぱんっておいしいよね。こしあん派だけど、あんぱんはつぶあんでも全然気にならない。


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二軍のプレイリスト

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